以下の文章は『思想運動』2014年2月1日号に〈名護市長選挙に勝利して思うこと/この選挙から何を学ぶか〉という見出しで掲載されたものです。
一月十九日に行われた沖縄県名護市長選挙は、辺野古新基地建設阻止を掲げた現職の稲嶺進氏が、建設推進を掲げた末松文信氏を破り再選を果たした。四一五五票差は前回の一五八八票の二・六倍であり、稲嶺氏の大差での勝利となった。辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない。初当選以来その公約を守り通してきた稲嶺氏を再度市長に押し上げることで名護市民は、末松氏はもとより辺野古埋め立てで結託する日本政府と仲井真弘多知事にも、はっきりと拒否の意思を示したのである。
基地問題が大きな注目点となった選挙だったが、稲嶺氏はこの四年間で名護市の財政の健全化を進めてきた。新基地建設受け入れとリンクした再編交付金を打ち切られても、市政を滞らせることなく、市の一般会計予算や建設事業費、基金積立額を前市政よりも増やしている。そのような実務面での実績があってはじめて、金(振興策)で票を買おうとする日本政府の圧力をはねのけられた。
稲嶺氏は市長になってからも毎朝、地域の子どもたちの通学時に横断歩道に立ち、交通安全指導をやっている。選挙になれば「子育て支援」を公約にする政治家は多いが、たんに予算配分を論じるだけでなく、地域で教育活動を普段着でやっている姿を市民は見てきた。真面目な人柄への市民の信頼は一朝一夕でできたものではなく、それだけ根強い支持を生み出していた。
名護市長選挙では毎回、全国から多くの人が応援にやってくる。選挙期間中は、政党、市民団体関係者、市民活動家で名護はあふれかえる。名護市で暮らしている者の一人として、新基地建設に反対するためやってきた人たちに対しては感謝しなければならないのだろうが、本稿ではあえて苦言を呈しておきたい。名護市長選挙を共にたたかって勝利の美酒を味わうのはいい。しかし、問題はその後だ。
今のヤマトゥに名護市のように社民党・共産党が共闘して首長選挙に勝利する自治体がどれだけあるだろうか。かつての革新自治体はどこに消えたのか。消えた原因はなんなのか。自分が生まれ育った自治体、住んでいる自治体は保守王国で、住民は基地問題に関心がない。そういう現状があるなら、それを変えるために名護市の選挙から何を学ぶのか。稲嶺氏の当選を喜ぶと同時に、そのことを真剣に考えなければならないはずだ。
その際、沖縄は軍事基地が身近にあるから住民の意識が違う。そういう安易な発想はやめてほしい。私が生まれ育った今帰仁村は、米軍基地も自衛隊基地もない農村だが、一九六八年以来革新系の首長が続いている。一方で嘉手納町のように町面積の八三パーセントを米軍基地に占拠されていながら、保守系の首長が続いている自治体もある。
名護市にしても、かつての革新共闘では市長選をたたかえず、保革相乗りで稲嶺氏を当選させている状況だ。辺野古の海にも陸にも新しい基地は造らせない、という一致点で結集するために、既存のキャンプ・シュワブや日米安保条約、自衛隊の問題は棚上げにしている問題もある。
その共闘のあり方は十一月の県知事選挙にも影響していく。自民党の内部対立や公明党の動向、革新共闘解体と共産党排除を進め、県知事選挙を保・保対決に持ち込もうとする動きなどによく目を凝らしておきたい。