昨日5月29日はアリューシャン列島アッツ島守備隊が全滅してから70年目にあたった。翌30日に大本営はそのことを玉砕と美化して発表した。ユーチューブで当時の映像が見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=crxHDr4rZpo
アッツ島守備隊指揮官の山崎保代陸軍大佐は29日、〈傷病者の処置を命じ、非戦闘員にも捕虜の不名誉を避けるよう訓示した。別れの電報を送るとともに重要書類を焼き、無線機を破壊した。以後アッツ島との連絡は永久に途絶えた〉(西島照男『アッツ島玉砕 十九日間の戦闘記録』北海道新聞社)。
アッツ島の戦闘では日本兵2638人が戦死し、27人が生き残って捕虜となっいる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130517-00000079-mai-soci
「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」という戦陣訓の一節に従い、傷病者や非戦闘員にも捕虜となって生き残る余地を与えず、全滅死を選び取る。前線の将兵や住民を見捨てておきながら、大本営はそれを玉砕と美化し、いたずらに犠牲者を増やし続ける。その悪しき仕組みが沖縄戦まで繰り返された。沖縄戦における強制集団死の問題を考える上でも、「アッツ島玉砕」が持つ意味は重要である。