所用で30、31日と八重山に行った。帰る前に竹富島にわたり、小雨の降る中、御嶽(おん)を中心に見て回った。小さな島に多くの御嶽や拝所があり、そのどれもが畏敬をもって大切にされているのが伝わってくる。暮らしのすぐそばに、神の存在を濃密に感じられ空間があり、それが島の秩序を守る大きな力となっていること。島の要所に配せられたこれらの御嶽なくして、集落の景観が守られることもなかったということを強く感じた。
世持御嶽(ゆーむちおん)の近くに、竹富町出身戦没者慰霊之塔と忠魂碑があった。忠魂碑は前面の表示板がはずされ、表面のセメントが剥落している。慰霊之塔には、
こはもはや 汝が古里ぞ 帰りきし みたま安かれ この島とともに
という歌が記されていた。今年、八重山では中学校の教科書採択をめぐり大きな問題となった。竹富町教育委員会は育鵬社の公民教科書を拒否しているが、その背景にはこの歌を詠んだ遺族の思いが、今も受け継がれていることもあるのだろう。大晦日のこの日も多くの観光客が訪れていた。石垣と赤瓦が作り出す集落の景観と同時に、これらの戦争遺跡も見て沖縄の近・現代史に思いをはせてほしい。
竹富小中学校の校門前は花で飾られ、謹賀新年と書かれた門が作られていた。同校の生徒をはじめとした竹富町の中学生に対し、文部科学省は公民教科書の無償給与をしない、という許し難い方針を出している。12月31日付の八重山毎日新聞の社説には、次のように記されている。
〈八重山は玉津博克石垣市教育長に翻弄(ほんろう)された年だった。中学校の公民科教科書をめぐる同教育長の「改革」と称する強引で恣意(しい)的な手法には、県内外から強い批判や反発があった。市民の起訴で裁判闘争にも発展、文部科学省が求める1本化は年が明けてももはや困難な情勢にある。
そこで文部科学省は、どういう形で決着が着くにしても教科書は竹富町にも無償で給与されるべきだ。国は子どもを差別すべきではない。
玉津市教育庁は県内最高水準の学力向上を高らかに宣言した。しかしこの教科書問題ではその不遜な言動で教育者としての資質を疑わせ、文科省の対応は無責任さを際立たせた。
この教科書文や尖閣問題で今年は右傾化とタカ派の台頭がさらに目立った年でもあった。小さな島を2つに引き裂く与那国の自衛隊配備は、町として住民投票で是非を問うべきだろう〉
八重山の教科書採択問題は、先島地域への自衛隊配備と密接に結びついたものであり、中山石垣市長や玉津教育長というタカ派グループが、育鵬社の教科書を強引に採択するためにしくんだ政治的策略が引き起こしたものだ。混乱の最大の責任は玉津教育長にあるのであり、竹富町の子どもたちがそのしわ寄せを受けなければならない理由はない。同社説が述べるように〈国は子どもを差別すべきではない〉。
夕方、那覇空港からの帰りに沖縄県庁に寄った。環境影響評価書が入っているとされる団ボール箱が置かれた守衛室の前では、今日も座り込み行動が行われている。年が明けても元旦から24時間態勢で、沖縄防衛局の策動を許さないための取り組みがつづく。時間のとれる方は、短い時間でもぜひ参加してほしい。一人ひとりの行動が積み重なれば大きな力となります。
2011年が暮れ、2012年が明ける。沖縄では初日は見られそうにないが…。
http://www.youtube.com/watch?v=YVZYychHL8E&NR=1&feature=fvwp
上がり太陽(てぃだ)拝(うが)でぃ 入り太陽ん拝でぃ 神やまーんかい ういみせーがや
そういう嘆きも聞こえそうな世の中だが、やいんばーんみかちちばいみそーらんねーないびらんどー、ということで最後に。
http://www.youtube.com/watch?v=sN8grtFUQYs