影書房の社主・松本昌次氏に声をかけていただき、同社から短編小説集3巻を出すこととなった。その第1巻『魚群記』が3月28日に刊行された。私のゲラ校正が遅れて、予定より1ヶ月遅れてしまった。影書房をはじめご迷惑をかけた方々に、この場を借りてお詫びしたい。同時に、刊行の労を執っていただいた皆さんに深く感謝したい。
http://www.kageshobo.co.jp/main/books/medorumashun.tanpenshousetsusensyu.html
表題作の「魚群記」は1983年に書いた作品である。琉球新報短編小説賞に応募するため、当時国際通りにあった1812年という喫茶店に通い、2週間かけてノートに第1稿を書くと、首里の龍潭池のそばにあった琉大男子寮の一室で、2日間かけて原稿用紙に清書し、消印締め切り日の午後5時前、首里郵便局が閉まるぎりぎりに持ち込んで応募した。
1812年は「せんぱち」と呼ばれて、クラッシック音楽が聴ける喫茶店として人気があった。店名は言うまでもなくチャイコフスキーの序曲「1812年」にちなんでいる。グランドオリオンの隣にあった店から安里に移転したあとの店で、奥の部屋は1人用のテーブルとイスに読書用のライトが用意されていて、有り難い店だった。
当時、琉球新報短編小説賞の選考委員は、大城立裕、霜田正次、安岡章太郎の3氏だった。選評で安岡氏に高く評価していただいたのが嬉しかった。もう30年も前の話である。小説で書いた故郷の川も国際通りも、かつての面影はない。子どもの頃、テラピアのことをタゴと呼んでいたが、ヘドロのたまった川でも繁殖するその生命力だけは相変わらずである。