今年1月10日の午後12時16分頃、大浦湾の海上ヤード建設予定海域で、ランプウェイ台船・第八十八ひなた号に積まれた石材が、船上のショベルカー2台によって海中に投下された。当初示されていた12日から前倒しして、日本政府・防衛省は大浦湾側での工事を開始した。これから9年3ヶ月かけて埋め立て工事と滑走路などの建設を行い、米軍に引き渡すまで12年を要するという。
しかし、最深で海面から90メートルという軟弱地盤の改良工事は前例がなく、難工事となって工期が延びるのは必至だ。防衛局が示している工事期間は台風などによる海象の悪化は考慮されていない。陸上に比べて海上の作業は気象条件に左右される度合いが大きい。そのことを無視して、意図的に工期を短く見積もっているのだ。さらに少子化による労働力不足や残業規制、資材の高騰、海洋土木機械の確保など、工期の遅れと予算の増加をもたらす要因は多々ある。
どうにか完成にこぎつけても、普天間基地がすぐに返還されるとは限らない。辺野古新基地の致命的欠陥は滑走路の短さにあり、普天間基地の代替施設にはなり得ないのだ。
防衛省・自衛隊のホームページに〈普天間飛行場代替施設について〉の説明がある。その中で普天間基地と〈キャンプ・シュワブに建設される代替施設〉との比較がなされている。それによれば、普天間基地の滑走路延長は2,740メートル。それに対し〈代替施設〉は3分の2に短縮して約1,800mとなっているが、(滑走路延長1,200m、オーバーラン両側300m)という内訳が記されている。滑走路延長だけを比べれば、普天間基地の半分以下の長さしかないのだ。この長さでは大型の輸送機を運用することはできない。
面積を見ても普天間基地が約476haに対し、〈代替施設〉は埋め立て地の面積で約150haと3分の1程度である。そのため駐機場や倉庫などの施設面積が減ることになり、大型輸送機を使用して物資を大量に保管することが、辺野古新基地ではできなくなるのだ。
米軍にとって普天間基地は、嘉手納基地が敵の攻撃で使用不能となった時に大きな役割を果たす。戦争において勝敗を分けるのは兵站能力であり、大量の兵員、物資を輸送し、滞在、保管する能力がなければ、戦争を継続することができない。そのために普天間基地の2,740mの滑走路と物資を保管できる施設面積は必要不可欠なのだ。
それ故、米軍が普天間基地を返還するには、代わりとなる滑走路を用意しないといけない。沖縄島内でその条件を満たすのは那覇空港しかなく、その使用が返還の前提条件となる。日本政府が2013年に米国と合意した「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」には、普天間飛行場の返還条件として8つの項目が挙げられ、その4番目は滑走路について以下のように記している。
〈普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善〉。
ここでいう〈民間施設〉が那覇空港を指すのは明らかであり、緊急時には米軍が那覇空港を使用することを日本政府と沖縄県が認めなければ、普天間基地は返還されないのだ。
この問題は2017年4月5日に公表された米国監査院の「アジア太平洋地域における在沖米海兵隊の再編に関する報告書」でも指摘されている。〈代替施設〉では滑走路が縮小されるため、固定翼機の緊急時対応や国連の災害対応ができないとし、沖縄県内の別の滑走路の使用を提案することについて言及している。
同報告書の公表から2ヶ月ほど経った2017年6月15日に参議院外交防衛委員会で、当時の稲田朋美防衛大臣が、〈普天間返還の前提条件が整わなければ、返還とはならない〉と発言し、大問題となった。当時の翁長雄志知事は同年7月5日の県議会で〈(米軍には)絶対に那覇空港を使わせない〉と発言している。
その後、日本政府はこの問題について言及することを避けている。稲田発言が猛反発を呼び起こしたことを教訓に、問題解決を先送りしている。
今回の代執行による大浦湾での工事強行に際しても、岸田首相をはじめとする自民党・公明党の政治家たちは、「世界一危険な普天間基地の1日も早い返還のため、辺野古が唯一の選択肢」と決まり文句をくり返すだけで、その「選択肢」が米海兵隊の那覇空港使用を前提条件としていることには触れない。沖縄の怒りや反発が倍加することを恐れ、ごまかしを続けているのだ。