以下の文章は2024年7月30日付琉球新報に掲載されたものです。
1988年の10月から翌年3月までの半年間、関東の某工場で期間従業員として働いていた。ベルトコンベヤーのそばに立って流れてくるプリンターの部品を組み立てるのだが、かなりきつい労働だった。人が動けるぎりぎりで生産ラインの速度は設定されている。昼食や休憩の時間があるとはいえ、8時間立ちっぱなしで部品をビスで取り付けるため、膝の痛みと背中の強張りでしばらくは体がおかしくなった。
期間従業員で働きに来ているのは、沖縄や奄美、九州、東北、北海道の若者が多く、地元の正社員と同じ制服が支給されていた。ラインにはそれ以外の作業着を着ている人たちがいて、話を聞くと、ある会社に登録してそこから「派遣」されているのだという。給料はいったん登録した会社に払われて手数料などが引かれ、残りが自分に支払われる、と話していた。「派遣」という働き方があるのを、その時初めて知った。
2年後の1990年10月にも同じ系列の工場で10カ月働いた。そこにはタイから来た女性の労働者たちがいた。タイで現地採用され、研修名目で日本に来て働いているとのことだったが、作業内容は日本人従業員と同じだった。日当は期間従業員の時給にも満たない額と聞かされ、本当なのか?と疑問に思った。しかし、昼食時間になっても食堂に行かず、自動販売機のジュースで我慢している女性たちの姿を見て、納得せざるを得なかった。
バブル経済は終盤を迎えていたが、それでも日本全体が浮かれまくっていた時期だ。週末は新宿や池袋、渋谷に行って泊りがけで映画や演劇を見て回り、日曜の夜に会社が借り受けたアパートに帰る生活を送っていた。今、東横キッズが問題になっている歌舞伎町の広場に面したホテルをよく利用していたが、東京で目にする賑わいと工場の現場の落差は大きかった。
しかし、それは特段珍しいことではなかっただろう。バブル経済といっても享楽にふける余裕はなく、日々過酷な労働を強いられている人々の方が、むしろ多数ではなかったか。
浮かれていたのは経済面だけではない。文化面でも、日本は高度資本主義の段階に達し、生産よりも消費に注目すべきだ、と現状肯定の能天気な主張を行う者たちがいた。特に団塊の世代の吉本隆明エピゴーネンたちが、時代に迎合した主張をさも「知の前衛」であるかのように唱えている姿には、あきれ果てた。
今にして思えば「大衆の現在」に寄り添っていると自認していただろう吉本は、メディアから得た情報を基に思索はしても、労働現場の実態を自ら確かめる努力はしていなかったのではないか。
あれから30年以上が経ち、今どき「高度資本主義」という言葉を口にするなら、お笑いにもならない。90年代になると派遣労働者や研修名目の外国人労働者は増大し、2000年代になって「失われた10年」が20年になり、30年になった。非正規雇用の拡大によって若者の低収入、貧困問題が深刻化し、年越し派遣村がニュースとなったのは2008年だ。「高度資本主義」ならぬ新自由主義経済の下で、貧富の差の拡大と中間層の没落が進行した。
2000年7月に九州・沖縄サミットが開かれた当時、日本の一人当たりGDP(国内総生産)はG7のトップだった。しかし、現在は最下位となっていて、日本経済の凋落が言われて久しい。半導体や医療分野など新しい産業創出の遅れが指摘されているが、それなら何よりも教育に力を入れるべきだろう。
しかし、経済開発協力機構(OECD)の発表によれば、GDPに占める教育機関への公的支出で、日本は2019年にデータのある加盟37カ国中36位となっている。その分、私費負担が大きくなり、文部科学省が出している「我が国の成長のための教育投資の充実」(平成29年3月13日)という資料では「我が国は国際的に教育費に占める私費負担の割合が大きく、特に幼児教育及び高等教育段階が顕著」と記されている。
つまり、非正規雇用の拡大によって労働者の賃金が抑制され、貧困化が進んで生活が不安定になる一方で、教育への公的支出は進まず、私費負担(家計負担)が大きくなったということだ。
結婚して子どもを産み、育て、高等教育まで受けさせることに困難さを感じる社会で、少子化が進み、時代に即した能力を持つ人が育たず、経済・産業が衰退するのは当たり前ではないか。
辺野古の海、大浦湾でカヌーを漕いで新基地建設に反対しながら思うのは、この馬鹿げた工事で予算を浪費するのではなく、貧困対策や教育予算に回せば、どれだけの人が救われ、社会が発展するだろうか、ということだ。
日本はどこかの国に攻められて滅びるのではない。誤った政策を変えることができず自滅するのだ。そういう思いがよぎる。無論、そんなことがあってはならない。
「台湾有事」を煽って軍事費を増大させる政治的作為・印象操作に踊らされてはならない。限られた予算を何に使うべきか。決めるのは市民だ。