17日(金)は午後2時48分頃、辺野古の新工事用ゲート前に行き、この日3回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
市民15人がゲート前に座り込んだり、歩道でプラカードを掲げて資材搬入に抗議した。
空のダンプカーや緑のカバーをかぶせたダンプカーのほか、路盤整備用らしい再生材が入った。
一昨日15日に沖縄の施政権返還から52年を迎えた。
「核も基地もない平和な沖縄」それが当時の沖縄人の願ったことだったろうが、いま目の前にあるのは、対中国の軍事要塞として強化されている現実だ。
陸も海も空も米軍が我が物顔で訓練し、日本の予算で新たな基地の建設が進められている。
さらには自衛隊の基地建設が琉球弧全体で進められ、中国と軍事的に対峙する最前線と化している。
ヤマトゥ(日本)を「祖国」と呼んで、そこに帰れば過酷な米軍支配から脱することができる。
当時の沖縄人の多くにとってその願いは切実だったろうが、「祖国」はそんな甘い幻想を簡単に踏みにじったわけだ。
いまも米軍基地の大半を沖縄に押しつけたままで、それを変えようという意思は日本政府にも日本人の大多数にもない。
こんな国のために、命を懸けて戦おう、などという馬鹿げた発想は二度としないことだ。
いざとなれば米軍や自衛隊が守ってくれる。それこそ幻想にすぎない。
午後2時46分頃、辺野古弾薬庫近くの歩道から大浦湾を見ると、N2護岸で土砂の陸揚げが終わり、空のランプウェイ台船が離岸するところだった。
K8護岸では土砂の陸揚げは行われていなかった。
午後4時4分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見ると、すでに土砂投入は終わっていて、工事車両の動きはなった。
段差になっているところは仮置きの土砂が投入されたところで、この日も朝、ガット船3隻(進朋、かいおう丸、marumasa7号)が大浦湾に入り、仮置き用の土砂を下ろしている。
現在の状況で工事を止めることはできなくても、遅らせる努力は続けなければならない。
自分ができる範囲でいいので、その努力を続けたい。