2004年4月19日未明に那覇防衛施設局(現沖縄防衛局)職員と作業員がやってきて、海底ボーリング調査にむけた作業を始めようとした。
それを阻止するために市民が集まり、座り込みを開始してから今日で20年の節目を迎えた。
その前にはさらに辺野古・命を守る会による8年の闘いが取り組まれている。
今年の7月には2014年の新基地建設工事開始から10年の節目を迎える。
14日に瀬嵩浜で県民大集会が開かれたばかりで、今日は節目の取り組みはなかったが、朝、浜のテントや辺野古漁港を訪れて20年前のことを思った。
長い闘いの中で亡くなった方も多い。浜の近くではデイゴが深紅の花を咲かせていた。
午前11時40分頃、新工事用ゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
17人の市民がゲート前に座り込んだり、歩道でプラカードを掲げて、強行される工事に抗議した。
地元名護で阻止・抗議行動を続けるヘリ基地反対協議会の共同代表を長年務めてきた安次富浩さんも座り込み、機動隊に強制排除されていた。
日米両政府が進める軍事政策に対抗し、闘い続けるのは並大抵の意志と努力では成し得ない。
沖縄戦後の占領支配から米軍統治下での土地の強制接収による基地拡大、そして現在の新基地建設まで、沖縄人はどれだけの苦しみと基地負担を強いられ続けなければならないのか。
沸々と怒りが湧いてならない。
生コンのミキサー車のほかに、搬入されたのは再生材や砕石が多く、空のトラックも目立った。
生コンと砕石はK6、K7護岸の建設に使われるものだろう。
午前10時33分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。
2カ所で仮置きの土砂投入が行われていた。
K2護岸近くではヒューム管が今日も下ろされていた。
明日は午後2時から久志公民館で、新基地建設問題を考える辺野古有志の会とティダの会の講演会がある。
久辺三区の住宅地上空での米軍機の飛行禁止や着陸帯・フェニックス撤去のために、宜野湾市民の取り組みから学びたい。
ぜひご参加を!