9日(金)は午前9時頃にキャンプ・シュワブの工事用ゲート前に行き、この日1回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
台風3号の影響なのか、昨日、今日と蒸し暑い日が続いている。テイケイの警備員も汗まみれで立っている人がいた。
全体で15人ほどの市民が参加したが、平日の朝から抗議行動を続けるのは簡単なことではない。どうしても、時間の余裕がある高齢者が中心とならざるを得ない。
時間の余裕があるといっても、本当は自分の時間を楽しみたいのは誰でもそうだ。米軍基地が集中する沖縄の変わらない現実が、いやでも抗議に行かざるを得ない状況を作っている。
私にしても、初めて反戦・反安保の集会とデモに参加したのは1979年の4月28日で、もう44年も前のことだ。
いくら反対しても変わらない。そういうあきらめが沖縄人のなかに広がっているのは、今に始まったことではない。44年前、私たちの世代は「シラケ世代」と呼ばれ、三無主義、四無主義などと言われていたのだ。
一方で、どんなに状況が厳しくても、あきらめない人たちは少数だがいる。辺野古のゲート前に来る人たちのなかには、50年以上、60年以上、粘り強く反戦・反基地運動を続けてきた人たちもいる。
生きて名利を求めず 死して名を残さず 苦しき民とともに生き 野に朽ち果てるを望みとす
そういう言葉もある。いつも心に刻んでいる。容易に実行できることではないか。
空トラックや砂利、砂などのほかに、ゴムボートや電柱、ショベルカー、ビニールパイプ、型枠資材など、いつもより多種類の資材が入った。
午前11時10分頃、豊原の高台から辺野古側埋立工区の様子を見た。
距離があるので暑さで陽炎が立ち、安物のカメラではぼやけてしまう。
K8護岸に接岸しているランプウェイ台船は、土砂の陸揚げを終えたようだった。
ほかの護岸から陸揚げされた土砂の投入が行われていた。
午前11時46分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。
K9護岸には2隻、N2・K8護岸には1隻のランプウェイ台船が接岸し、K9とN2では土砂の陸揚げが行われていた。
ガット船は5隻(第八太海丸、聖嘉、國喜18、marumasa7号、かいおう丸)が入っていて、ランプウェイ台船やデッキバージに土砂の積み替えを行っていた。