22日(木)は午前11時44分頃にキャンプ・シュワブの工事用ゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
この日はゲート前での抗議行動が始まってから3000日の節目だった。テントでは集会が開かれ、ゲート前にも100人ほどの人が集まり、マイクを手に発言をつなぎながら、座り込みやデモ行進で抗議の声をあげ続けた。
機動隊員もいつもの倍以上来て、市民を強制排除していた。新型コロナウイルスの感染が減少傾向にあるとはいえ、かつてのような激しい抵抗はできない。それでも、人が多ければ排除に時間がかかる。
工事をすぐに止めることはできなくても、遅らせることには大きな意味がある。岸田政権の急速な支持率低下を見ても、政治はいつ流動化するかわからない。工事を進めさせないことで、状況の変化に対応して止める可能性を作り出せるのだ。
辺野古側海域の埋め立て工事はまだ再開されていないので、今日も入った工事車両は土砂を搬出する空のダンプトラックが大半だった。ほかに生コンのミキサー車も入っている。
工事車両が入ったあとは、ゲート前でデモ行進し、シュプレヒコールで気勢を上げた。
取り組みが長引けば人々の関心も薄らぎ、参加者も減っていく。そういう中で、現場の行動を支えるために日々苦労を重ねてきた人たちがいる。
新型コロナウイルスの感染が広がり、オール沖縄会議が現場での取り組みを中止したときも、有志の皆さんが現場での抗議行動を続けてきた。時には参加者が数人しかいない時もあったが、現場に足を運び続ける人たちがいて、抗議が絶えることはなかった。
大きな節目のときはマスコミも集まり、多くのカメラが向けられる。高江でもそうだった。しかし、マスコミが取り上げることもない日々の行動に参加し、それを陰で支えてきた人たちの努力があったからこそ、3000日も抗議行動が続けられたのだ。
そういう人たちの労に報いるためにも、1日も早く新基地建設を止め、ゲート前の抗議行動を終わらせたい。3000日というのは、私たちが工事を止められなかった無念の日々でもあるのだ。
午後1時34分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。
一部で土砂を下ろしている動きがあったが、埋め立て工事は中断が続いている。大半の重機は片付けられたままだ。
沖の方からタグボートがスパッド台船を曳航し、大浦湾に入るところだった。
スパッド台船がK9・N2護岸の先端に再設置され、土砂陸揚げ用のランプウェイ台船が大浦湾に戻り、土砂を積んだガット船が入ってきてから埋め立て工事が再開される。
午後1時54分頃、瀬嵩の森や海岸から大浦湾の様子を見た。
スパッド台船は湾内に運ばれてきていた。外洋を曳航してきた大型のタグボートから、湾内にいる小型のタグボートに引き渡され、N2護岸から再設置作業が行われた。
大浦湾内では作業和船が汚濁防止膜の再設置、点検作業を行っていた。
その奥に見えるN2護岸の先端部には、このあとスパッド台船が再設置された。
さらにその奥に見えるK8護岸では、クレーン車が出ていたが、目立った作業は行われていなかった。根固め用袋材の片づけは終わっていた。
大島海峡に避難していたガット船は、早朝から塩川沖に移動を始めていた。夜の段階では塩川沖に戻っているので、明日以降、土砂の積み込みが再開されるだろう。
羽地内海に避難しているガット船は、まだ動いていない船がある。それらは土砂を積んだ状態で避難しているので、明日以降、直接大浦湾に向かいそうだ。
波は収まっているので、早ければ明日には、ガット船が大浦湾に入り、ランプウェイ台船への土砂の積み替え、陸揚げが行われるかもしれない。
K9護岸の周辺では今日もショベルカーが森の斜面を削っていた。
美謝川の河口切替工事や辺野古弾薬庫の商業用ゲート建設のため、森が破壊されて大量の残土が発生している。ゲートから入る空のダンプトラックの多くは、この残土を搬出するために使用されているのではないか。
沖縄の貴重な海を破壊し、森を破壊する。そして、地域住民を米軍の事件事故で苦しめ、さらに戦争の惨禍に巻き込む。この新基地建設を、1日も早く止めなければいけない。