25日(金)は午前11時50分頃にキャンプ・シュワブゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
10数名の市民がゲート前に座り込んだり、歩道でプラカードを掲げて新基地建設反対の声を上げた。
ここのところ天気が崩れがちだったが、今日は時おり青空も見られ、寒さもやわらいでいた。
K8護岸延伸工事の捨て石に使用されると思われる大きな石が、今日も大量に搬入されていた。ゲート前の担当者の話では、火曜日から1日に90台分ほど搬入されているとのこと。
いつもの空トラックやミキサー車、砂、ショベルカーを載せた車両なども入り、石を積んだ車両が加わった分、先週よりも搬入台数が増えている。
午後12時半頃、第3ゲートの様子を見に行くと、フレコンバッグに詰めた資材を下ろしていた。
午後1時17分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。
22日(火)の午後に大浦湾に入ったガット船・國喜18が出ていくところだった。かいおう丸と聖嘉は午前中で大浦湾から出ていた。
②工区に土砂が投入され、嵩上げ工事が進められていた。
大型クレーンが設置されているあたりで、生コンの打設作業が行われていた。
ミキサー車の後ろには、K4護岸に足場が組まれているのが確認できる。
午前11時28分頃と午後午後1時51分頃の2回、瀬嵩の海岸と森の上から大浦湾の様子を見た。
午前中はK9・N2・K8の各護岸にランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げが行われていた。
上の3枚の写真は午後1時51分頃の様子だが、土砂の陸揚げはN2護岸だけで行われていた。同護岸に接岸している明神3号も土砂は残りわずかだった。
早朝、塩川沖を出たガット船3隻(栄雄丸、第八丸喜丸、第八高砂丸)の船影が沖に見えたが、大浦湾に入ってランプウェイ台船に土砂を積み替えるには、あと2時間以上はかかりそうだった。
先週から今週にかけて、海が荒れてガット船の移動が思うにまかせず、土砂の補充が遅れる日が多い。
午前中、各護岸で陸揚げが終わったあと、次の台船に載せる土砂が切れてしまい、陸揚げができない状態となっていた。
瀬嵩の森に咲くケラマツツジも花が残りわずかとなった。
ロシアのウクライナ侵略によって、どれだけの市民や兵士が殺されるだろうか。大国のはざまで翻弄され、戦争と差別、圧政で苦しめられるのは沖縄も同じだ。大国の横暴を許してはならない。
この機を利用して「台湾有事」を煽り、沖縄の自衛隊、米軍を強化しようともくろむ者たちがいる。琉球・沖縄の歴史を見れば、侵略者、圧政者は日本=ヤマトゥであり、もとより帰るべき「祖国」などではなかった。
沖縄までは戦場にしていいと考える腐りヤマトゥーどもに、ウチナンチューは二度と利用されてはならない。
実際に「台湾有事」となれば、与那国、八重山、宮古をはじめ、琉球列島全体が戦争に巻き込まれる。軽々しく「台湾有事」を口にできるのは、自分が住んでいる地域は戦場にならない、と考えているからだ。
沖縄に米軍基地の負担を押し付けて「平和と安全」を享受してきたヤマトゥンチューが、口先やインターネットで勇ましい言葉を並べても空疎なだけだ。