以下の文章は、2021年1月29日付「琉球新報」に〈搾取された側の歴史/首里城 裏に民衆の労苦/再建で大木伐採見直しを〉という見出しで掲載されたものです。
小学校の頃の記憶だから1970年前後のことと思われる。近所の散髪屋の入り口横に座って待つ場所があり、マンガ雑誌が置かれていた。
そこで読んだマンガの一つだったと思う。農民たちが城の建設に駆り出され、城壁の石を積まされていた。現場を指揮する武士は厳格かつ冷酷な男で、石垣に隙間があるのを見つけると、そこを担った者たちの指を無理やり隙間に詰め込ませた。それだけでも痛みにうめいているのに、さらに刀を抜くと指を切り落とした。ほかの農民たちへの見せしめである。そうやって石垣が完成すると、抜け穴などの秘密を守るため、農民は全員殺されてしまった。
作者名は憶えていないが、劇画調の荒々しい絵は記憶に残っている。70年安保闘争がたたかわれていた時代であり、マルクス主義の影響を受けたマンガも現れていた。横暴な権力者と虐げられる農民の姿を描いた作品の一つだったのだろう。
城壁といえば、中国の万里の長城を訪ねた際に聞いた話もある。1995年に沖縄県の高教組が「戦後50年・中国の旅」を企画し、私も参加した。日中戦争勃発の地となった盧溝橋や南京大虐殺の記念館を訪ね、生存者の証言を聞いた。
北京市郊外の万里の長城にも行ったが、バスの中で中国人ガイドが、大きな石は冬場に道に水を撒いて氷を張り、そこを滑らせて運んだ、と説明していた。参加者が感心しているとガイドは、でも事故も多くて長城が完成するまでに8000万人が死んだそうです、と言ってみんなを驚かせていた。
さすがに大げさすぎるだろう、と思ったが、長城の規模を伝える定番のセリフだったのかもしれない。しかし、長い年月をかけて長大な壁を築く過程で、労役に駆り出した民衆に膨大な死者を出したのは事実だろう。絶大な権力を持つ王や領主が命じれば、民衆は従うしかない。抵抗しても命を落とすだけであり、田畑が荒れ、家族が苦しんでも、苦役の場に向かうしかなかったのだ。
私が生まれ育った今帰仁村には、ナチジングシク(北山城)という城跡がある。例年、今の季節は桜祭りが開かれ、夜は城壁が青や緑にライトアップされる。今年は新型コロナウイルスの感染拡大で県独自の緊急事態宣言が発せられており、2月7日まではライトアップも中止となったようだ(城内の桜見物は可能とのこと)。
東シナ海を背景に曲線を描く城壁は野面積みの手法で積まれている。その風景を眺めながらいつも思うのは、これだけの石を山上に運び、積み上げるまでに、村人はどれだけの労苦に耐えたのか、ということだ。嬉々として王の命令に従った、というのは歴史を都合よく記述できる権力者側の視点である。文字を残すことのできない民衆の苦しみは、記録されることもなく消えていき、わずかに口承で伝わるだけだ。
私の父方の家系でたどれるのは、祖父の祖父までだが、今帰仁間切りの岸本集落に住んでいた。その先の祖先たちも含めて、石を積まされる側の人間であり、北山城の築城に駆り出された人もいたかもしれない。
そういう苦役は遠い時代のことばかりではない。沖縄戦において今帰仁の人々は日本軍の命令で、伊江島の飛行場建設や運天港の海軍基地建設に駆り出された。義理の伯父から「伊江島徴用」の話を聞いたことがある。空腹に耐えかねて畑のサトウキビを食べてしまい、地元の農夫に鎌で追われたという。母によれば、当時は小学生で屋我地島に住んでいたが、祖母が日本軍の陣地構築に動員され、怪我をして帰ってきたこともあるという。
そのようにして負傷した人は、沖縄の各地に数多くいただろう。その挙句、いざ戦争が始まると、部隊の配置や陣地の状態を知っているということでスパイ視され、日本軍に虐殺される住民もいた。民百姓の哀れはいつの時代も変わらない。
首里城が炎上して以来、県内メディアには膨大な記事や発言が掲載された。それらに接してしばしば感じるのは、自分の祖先は首里の士族とでも考えているのだろうか、ということだ。
今帰仁のように中山に滅ぼされた地域もあれば、首里王府の支配、搾取に苦しんだ地域もある。沖縄人の多くは狭い土地を耕し、貧しい暮らしをしてきた民百姓の子孫ではないのか。首里那覇の人たちが「クスケーヤンバラー」という差別語を使っていた時代もあった。いざとなれば石を積まされる側の末裔として、私にはそういう歴史をあっさり忘れることができない。
昨年11月、首里城再建のためにオキナワウラジロガシが使用されるという報道があった。国頭村と石垣市の森から6本が調達されるという。木について詳細には触れられていないが、かなりの大木であり、樹齢も古いだろう。
やれ国立公園だ、世界自然遺産だと、沖縄の森の価値を説いてきたのは何だったのだ。伐採を含め調達には寄付金が使用されるという。県産木にこだわり、何十年、何百年と自生してきた古木を切り倒すことに反対である。自然保護団体を含め、県民の広い議論が必要なはずだ。