19日(月)は朝、カヌー11艇で松田ぬ浜を出発した。1班の6名は平和丸に乗って先に大浦湾に向かい、2班の5名は自走で大浦湾まで漕いだ。向かい風が強く、大浦湾まで行くのに力が要った。
途中、午前8時32分頃、K8護岸の前を通ると、すでにランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げが始まっていた。K9護岸でも同じく土砂の陸揚げが始まっていた。
大浦湾からはガット船1隻が出て、3隻(かいおう丸、第八藤進、聖嘉)が入った。カヌーチームとぶるーの船で航路の手前まで行き、プラカードや虹の小旗を掲げて土砂搬入に抗議した。
この日は野党国会議員でつくる「沖縄等米軍基地問題議員懇談会」が辺野古を訪れ、抗議船3隻に分乗して海上から工事の状況などを視察していた。カヌーチームはK8護岸前で待機し、短時間だが議員の皆さんと交流した。
午前11時頃、K8護岸では1隻目のランプウェイ台船の土砂陸揚げが終了し、2隻目との入れ替えがあった。それに合わせてカヌー11艇がオイルフェンスを越え、台船に対し抗議行動を行った。
K8護岸までは距離があり、到達するのは容易ではない。しかし、かなり近づいて抗議の声を上げることはできる。海でもゲート前でも、現場で抗議する人がいてはじめて、政府の強硬策に屈していないことを示せる。
参加しているのは誰もが平凡な市民だ。仕事と金と時間をやりくりして、みんな苦労しながら参加している。負担は大きいが、誰かがやらなければならない。それを自分がやるかどうかだ。
K4護岸では壁がつながった辺野古崎側で、今日も消波ブロックの設置が進められた。
K4護岸の嵩上げ工事は辺野古崎側から始められ、K3護岸方向に向かって工事が進められている。それとは別に最近になって、K4護岸の途中からも嵩上げ工事が行われている。真ん中よりK3護岸側で、消波ブロックの積み方が異なっている境い目付近から型枠が組まれ、今日は午前中、ミキサー車が並んで生コンの打設を行っていた。
K1護岸とK2護岸でも嵩上げ工事が続けられていた。上の写真で右側のクレーンは、壁の型枠をはずして吊り下げ、護岸の内側に片付けている。左側のクレーンのそばでは、生コンの打設が行われていた。
この日の海上行動は午前中で終え、午後はカヌーの修理やテント2周辺の片付けなどを行った。
午後2時55分頃、キャンプ・シュワブのゲート前に行き、この日3回目の資材搬入に抗議する座り込みに参加した。朝、昼、午後と1日3回の座り込みを毎日続けるのは大変なことだ。しかも、新型コロナウィルスの感染予防も行わなければならない。機動隊への対応も工夫しながら、今日も粘り強く抗議が行われている。
生コンのミキサー車や砂、バラスなどを積んだ工事車両のほかに、空のダンプカーも目立った。基地内の工事で発生した土砂やがれきを運び出すためのものだ。
ひととおり工事車両が入ったあとは、ゲート前を何度も往復して抗議の声を上げ、遅れてきたミキサー車などを止めた。
午後1時36分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸には明神3号が停泊し、土砂の陸揚げを行っていた。この時間帯にダンプカーは、K2護岸側に土砂を投入していた。
午後3時48分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。K9護岸では土砂の陸揚げが行われていた。
湾内では聖祐が台船に土砂の積み替えを行っていた。ほかに聖嘉が停泊し、第百三十六伊勢丸と栄雄丸が航路から大浦湾に入ったところだった。