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沖縄県民への暴力によって進められたオスプレイ配備 2

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 9月30日は大山ゲートに続き、野嵩ゲートにおける座り込み・普天間基地封鎖行動も警察権力によって暴力的に排除された。市民の直接行動で普天間基地が閉鎖状態に陥るというかつてない事態に、日米両政府がいかに強い危機感を抱いていたかが、この日の大山・野嵩ゲートにおける警察の弾圧を見れば分かる。翌日のオスプレイ配備強行に向けて、非暴力の座り込みに徹している市民に、日本政府は沖縄県警を使い、暴力をもってオスプレイ配備を進めたのである。

 大山ゲート前の座り込みが強制排除されたあと、総括集会もそこそこに野嵩ゲートに移動した。午後4時20分頃、同ゲートに着き、ゲートをふさいだ車を守る座り込みに参加した。時間が経つとともに座り込みの参加者が増えていき、県警機動隊も増員されて、にらみ合い状態が続いた。

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 車をはさんで四重に人の鎖を作り、「一坪たりとも渡すまい」を歌い、オスプレイ配備強行反対の声をあげながら、県警の強制排除に備えた。

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 午後6時40分頃、投光器が用意された。座り込む市民に強い光が照射され、緊張が一気に高まった。午後7時5分頃、県警機動隊が市民に襲いかかった。このあとしばらくは写真を撮る余裕なし。機動隊は数人がかりで、市民の腕や足をつかんで1人ずつ引きずり出していく。打ち身や打撲、もみ合いの際の圧迫などで数名の市民が倒れ、私が見ただけで救急車が4回呼ばれる事態となった(実際にはそれ以上呼ばれていると思われる)。

 市民は腕を組んで座り込みに徹していた。せいぜい、つかみかかる機動隊員の腕を払ったり、ふりほどこうともがくくらいだ。市民の中には女性や60、70代の人も多かった。それに対し、日本政府の意を受けた県警は、倒れている人がいる、と訴えても暴力的排除を続けた。救急車が来てやっと一時的に排除を止めたが、負傷者が運び出されると、すぐにまた襲いかかってきた。

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 強制排除された市民は、両手両足をつかまれて抱え上げられ、国道330号線の歩道側に県警が作った隔離・監禁場所に入れられた。窓を金網や鉄板で覆った機動隊の大型バス(装甲車)をコの字形に並べ、車両の通行規制をして外部からは見えないようにし、歩道側はガードレール沿いに機動隊員を二重、三重に並べて壁を作る。そうやって県警は市民を長時間にわたって閉じこめた。

 市民は何度も機動隊の壁を破ろうとしたが、はね返された。装甲車はエンジンをかけっぱなしで、市民が閉じこめられた狭い空間は、排気ガスと人いきれが満ちた。このままでは熱中症で倒れる人が出る、という声や、トイレに行かせてほしい、という女性の声があがったが、県警はそれを無視して市民への不当監禁を続けた。そのあと一部の人は外に出され、自力で脱出した人もいたが、長い人は3時間以上も閉じこめられた。その間、倒れて救急車で運び出される人もいた。

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 警察の監禁からどうにか脱出して、ゲートを封鎖した車のレッカー移動を阻止しようと集まった市民の中に加わった。ゲート前では残った車(宣伝車)の上に数人の市民が上がり、長時間にわたって頑張っていた。水や食べ物を差し入れしようとする市民と、それを阻止する県警との間でもみ合いがあった。交渉のすえ水の差し入れはできた。

 県警はゲートの土手際(歩道側)にバンボディのトラックを置き、外からゲート前の様子を見えないようにしていた。あとで最後まで車上にいた人から聞いた話では、先にレッカー移動された車が排除される際、車上にいた市民を警察が殴っていたという。装甲車をコの字形に並べた市民の監禁と同じように、外から見えないようにしたうえで市民に弾圧を加えるという悪質なやり方である。マスコミに対する取材規制も行われており、県警は市民の目をふさぎ、報道の自由を侵して、オスプレイ配備を暴力でもって進めたのである。

 午後11時半頃、車上にいた人たちの体調も配慮して、最後の1台は自らゲート前を移動した。人の交替や差し入れができない状態では、やむを得ない判断であった。大山ゲートと野嵩ゲート前にもっと多くの市民が集まり、機動隊が市民を強制排除できない状態を作り出し得ていれば、普天間基地は機能停止に陥って、翌日のMV22オスプレイ配備を阻止することができた。そうなれば日米両政府は事態の深刻さに気づき、普天間基地をめぐる方針を再度議論せざるを得なくなっていただろう。残念ながら、沖縄県民は絶好の機会を逃した。 

 おそらく日米両政府は、市民が普天間基地のゲートを実力で封鎖するとまでは考えていなかっただろう。県民大会の決議をもって東京に行き、政府に要請して終わる、というこれまでのパターンをくり返してはならない。多くの県民がそう考えて、行動に立ち上がった。とりわけ60代以上の皆さんが、子や孫たちに基地の苦しみを残したくない、と腹をくくり、率先して行動に出た。それに励まされ、ゲート前に集まった市民の主体的な意思と自主的な行動で、普天間基地を封鎖する直接行動が実行された。この意義は極めて大きい。

 最後は封鎖を強制的に解かれたとはいえ、参加した市民はこの過程で多くのことを学んだと思う。私自身は、普天間基地は沖縄県民の力で撤去できる、と確信した。金網に囲まれ、限られたゲートから人や物が出入りしている基地は、そこを封鎖された時にもろさを露呈する。40年前の沖縄と違い、米軍は自ら銃を手に座り込む市民を排除できない。県警にしても、非暴力の市民に対しては、60年代、70年代のように警棒でめった打ちにするようなことはできない。暴力の行使は行われていても、その質は異なっている。主要3ゲートに1000人単位で県民が集まれば、機動隊も手を出せなくなり、普天間基地の封鎖は実現される。

 この行動は決して過激なものではない。穏やかな非暴力の座り込みだけで、大きな力をはっきすることができるのだ。今回、市民の中からケガ人が出たのは残念だが、一方で、市民が警察にケガをさせていないことは誇っていいことだ。私たちの目的は普天間基地を撤去させることであり、同じ沖縄人である県警や基地ガードマンとぶつかってケガをさせることではない。市民が行ったのは、自らの身を守るための最低限の抵抗である。それに対し県警は、過剰な暴力をふるい続けた。私も混乱のなかで興奮した若い機動隊員から、まともに胸に突きを食らった。

 県警や基地ガードマンの中にも、内心はオスプレイ配備に反対と思っている人がいるだろう。基地の被害は人を選ばない。彼らや彼らの家族もいつか被害者になるかもしれない。市民を強制排除してオスプレイ配備を手助けすることは、自らの首を絞めるものであり、同時に米軍が世界各地で行う戦争に荷担するものであることを自覚してほしい。県警や基地ガードマンにとって、敵は沖縄県民ではなく、自分たちを操っている日米両政府であり、米軍のはずだ。それを承知で県民に暴力をふるい続けるなら、県民も黙ってはいない。警察が国家の暴力装置としての本質を剥き出しにするなら、市民にはそれに抵抗する権利がある。

 大山ゲートで連日早朝から行動している70代の反戦地主が、一夜明けた10月1日の朝、こう語っていた。

 ゲート前の座り込みは排除されたが、今回はまったく敗北感はない。これまでは米軍の演習や事故に、沖縄県民は受け身で反対してきた。しかし、今回は自分たちから普天間基地に攻めていった。これまでの反対運動とはまったく違うものだった。沖縄の反基地運動の質が変わった。

 その人は警察の規制に抗って、大山ゲートに向かう途中の横断歩道を杖をついてくり返し渡り、「歳を取っていいこともあるなー、自分は普通に歩いても牛歩戦術になる」と笑っていた。沖縄戦を生き残り、67年間も戦争と軍事基地に反対してきた人の、たとえ逮捕されてもオスプレイ配備に反対する、という思いが、その一歩一歩に示されていた。

 子どもをつれて気軽に参加できるような和やかな運動も必要だろう。運動のすそ野を広げる取り組みを否定しはしない。しかし、それだけでは実際に基地を撤去させることまではできない。米軍が世界各地で目にしている反米闘争は、沖縄とは比較にならないほど激しいものだ。米兵たちに、沖縄県民は本当に怒っている、と受け止めさせ、自分たちは歓迎されていない、と自覚させるには、それなりの行動を取らなければならない。

 これからどのような政権になろうと、日本政府や国会に期待することはできない。沖縄県民が自ら行動し、多様な取り組みで基地機能を停滞させ、米軍が思うような訓練、作戦行動を行えないようにする。そうやって基地の自由使用を不可能にすることで、米軍が自ら沖縄から出ていくような環境を作るしかない。沖縄県民にはそれができる。

 県警はいつまでも基地の前に張りついていられるわけではない。何度排除されてもくり返しゲート前に座り込む。それを目ざして、普天間、辺野古、高江など県内各地で、米軍が音を上げるような反戦・反基地運動を続けていきましょう。

 

 


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