27日(月)は午前11時45分頃、辺野古のキャンプ・シュワブゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。ゲート前ではいつものように市民が座り込んで、歌声が流れていた。
午前11時52分頃、パトカーが先導して工事車両がやってきた。警備の名のもとに沖縄県警が米軍基地建設の手助けをさせられている。沖縄人同士を分断、対立させ、ヤマトゥ支配のもとに組み込んでいく、醜悪な風景である。
工事車両がゲート前に来てからも20分近く歌声が続いた。午後12時11分頃、沖縄県警・機動隊による強制排除が始まった。座り込んでいた市民は20人ほどだったので、全員が排除されるまで約3分。もっと参加者が欲しい。
生コンのミキサー車に続いて、砂や栗石を積んだダンプカーやブルーシートに覆われた資材を積んだトレーラー車がゲートに入っていった。
強制排除されて、それで終わりではない。歩道で工事車両に抗議し、車列が途切れると、すかさずゲート前でデモ行進をおこなう。それで第2陣の工事車両がすぐに入れず、ゲート前で待機することになる。抗議する市民がいなければ、すぐにゲートに入れるのだから、その差は大きい。
キャンプ・シュワブのゲート前に行く途中、瀬嵩の海岸に寄って大浦湾の様子を見た。午前11時頃、K9護岸では土砂の陸揚げが行われていた。K8護岸では1回目が終わったのか、ランプウェイ台船は接岸していなかった。
ガット船は第八丸喜、航安丸、第十八勝栄丸がランプウェイ台船に土砂を移し替えていた。ほかに神峰、marumasa1号、寿鷲丸が停泊していたが、後の3隻は前日からの居残りである。
午前11時19分頃、豊原の高台に移動し辺野古側埋め立て工区の状況を確認した。K9護岸から陸揚げされた土砂はダンプカーで運ばれ、K3護岸側からK4護岸に沿いに投入されていた。
3月に入って黄色いショベルカー2台が海中に入り、作業を行っている。位置を見ると、米軍の排水管を撤去しているのかもしれない。
かつてこの海域をカヌーで自由に漕げた頃、コンクリートで覆われた排水管の上を何度も通った。空洞があると埋め立てに支障をきたすのだろう。
辺野古のゲート前から安和の琉球セメント桟橋に移動した。午後2時10分頃、安和の現場に着くと、marumasa3号が土砂を積み込んでいるところだった。土砂はすでに満杯に近い状態で、午後2時15分頃、土砂の積み込みが終了し、ベルトコンベアーが後ろに下がった。同20分頃、marumasa3号は新桟橋を離れ出航した。
本部町島ぐるみ会議の調べによれば、この日は1隻目に玄周丸、2隻目に清明が土砂を積み込み、marumasa3号は3隻目だった。その後、4隻目は姿を見せず、午後2時半頃、警戒船も去って新桟橋での作業は終了した。
新桟橋の上に設置されたセメント出荷施設が、桟橋の先端部まで伸びている。ガット船がないと陸上(海岸)からも望遠レンズで確認できる。
安和・塩川沖には10隻のガット船が停泊していた。玄周丸、清明、松龍丸、第八そうほう丸、第八高砂丸、marumasa3号の6隻は土砂を積み終えていた。栄雄丸、第八藤進、marumasa2号の3隻は空だった。もう1隻の聖祐は台船から土砂を載せ替えていた。
午後2時58分頃、本部港塩川区に移動した。港内の一角に置かれている移動式のベルトコンベアについては、ブログ「チョイさんの沖縄日記」が詳しく論じている。
土砂を運んでくるダンプカーに対し、本部町島ぐるみ会議の皆さんが、牛歩戦術で抗議を続けていた。映像を見れば分かるように少人数でもダンプカーの動きを遅らせている。辺野古でも安和でも塩川でも、こういう努力が日々続けられているのだ。
市民が何時間も抗議を続けているのに、沖縄防衛局のボンクラどもはこまめに休憩を取り、車の陰でタバコを吸い、スマホを眺めている。米軍に基地が集中し、沖縄県民がどれだけ苦しもうと、彼らには痛くもかゆくもないだろう。
ウチナーンチュー、うしぇーらってぃやないびらんどー。ちゅーたるがきさんぐとぅ、どぅーなーからえーかんねーならんしが。