3日(火)はカヌー15艇とゴムボート(ハクイ)1隻で安和の海に繰り出した。午前8時46分頃、安和に着いた時にはガット船・進朋が琉球セメント新桟橋で土砂の積み込みを行っていた。積み込みがかなり進んでいたので、準備ができた先発組から新桟橋に向かった。
新桟橋の下にはミジュンが群れていた。3月に入り産卵期を迎えているのだろう。アジサシが渡ってくる5月頃には稚魚が姿を見せる。桟橋の下にも季節の移り変わりがある、などと考えながらカヌーを固定していると、午前9時39分頃に土砂の積み込みが終わり、同55分頃に海保が海に入ってカヌーの拘束を開始した。
新桟橋の下で抗議したカヌーメンバー全員が拘束されたのが、午前10時28分頃だった。あとから浜を出たメンバーや航路付近で抗議したメンバーの頑張りで、進朋が新桟橋を離れ、沖に向かったのは午前11時頃だった。
抗議行動がなければ、土砂積み込み終了から10分程度で出航していただろう。たとえ1時間でも、その積み重ねが後に影響を及ぼす。何もしなければ何も変わらない。限界はあっても、できることにベストを尽くしたい。
2隻目のmarumasa1号はそれほど大きな船ではないので、早めに昼食をとり、午後12時20分頃にカヌーで抗議に向かった。
旧桟橋では千進丸がセメントの積み込みを行っていた。旧桟橋の使用期限は3月末となっている。劣化がいちじるしい旧桟橋を使い続けているのは、新桟橋をガット船に使用させるためだ。
すべては辺野古新基地建設優先のためであり、そのために労働者は危険な作業を強いられている。旧桟橋が使えなくなり、セメントの積み込みも新桟橋で行うようになれば、その分、ガット船の土砂積み込みが遅れる。沖縄防衛局や琉球セメントは抵抗するだろうが、旧桟橋の4月以降の使用を許してはならない。
午後1時32分頃、marumasa1号の土砂積み込みが終わった。午後1時49分頃からカヌーチームに対する海保の規制・拘束が始まった。
新桟橋の下にいたカヌーメンバー全員が拘束されたのが午後2時39分頃。marumasa2号が離岸して沖に向かったのが午後2時55分頃だった。
そのあと、3隻目の寿鷲丸が午後3時22分頃に新桟橋に着岸した。ガット船の大きさにもよるが、抗議行動がなければ、同じ時間帯には3隻目の出航が行われていただろう。
コロナウィルスに対する対応を見ていると、安倍政権の無能さ、酷さがよく分かる。全国一斉休校にするのではなく、事前に1週間の時間を与えて、各地域、学校側に判断をゆだねていれば、もっと現実的な対応ができていただろうに。
奇数、偶数番号や学年単位で隔日登校、午前、午後に分けた登校をしたり、図書館や音楽室、美術室、体育館、実習施設、グラウンドなどを使って生徒を分散させたり、各学校の職員に任せれば、色々な方法が出されただろう。
ろくに議論する時間も与えず、いきなり休校という要請を出されたら、現場が混乱するのは当たり前だ。農業高校なら農場、ハウスの管理や家畜の飼育などもしないといけない。卒業式や入試の準備などで忙しい中、生徒への対応で現場の職員がどれだけの苦労をしているか。
生徒に単位を与えるにも、いきなり休校になったら出席時数の問題が生じる。生徒をできるだけ進級させようと、現場の教師は苦労しているだろう。高級ホテルや料亭で飲み食いばかりしている安倍首相は、そういうことを考えたこともないだろう。