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Channel: 海鳴りの島から
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尖閣諸島を戦争の火種としないために『沈黙の叫び』に耳を澄ますこと

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 米潜水艦の攻撃により疎開船・対馬丸が沈められてから、8月22日で68年を迎えた。那覇市の小桜の塔では慰霊祭が行われている。

http://www.qab.co.jp/news/2012082237542.html

 財団法人・対馬丸記念館の公式ガイドブックに「沖縄県戦時遭難船舶一覧」が載っている。沖縄県の調査によるもので、それによれば1942年10月7日の波の上丸から1945年11月1日の栄丸まで、沖縄県の戦時遭難船舶は26隻に及んでいる。その中に、1945年7月3日に尖閣諸島近海で米軍機の攻撃を受けて沈没、遭難した第一千早丸(友福丸)と第五千早丸(一心丸)の2隻も含まれている。

 『沈黙の叫び 尖閣列島戦時遭難事件』(南山舎)は、尖閣列島戦時遭難死没者慰霊之碑建立事業期成会によって編集された、上記2隻の遭難事件の記録集である。同書には、2002年に石垣市新川舟蔵に建立された慰霊之碑に関する資料のほか、沖縄テレビ制作の番組「尖閣諸島からの叫び 証言・最後の台湾疎開船」のシナリオ、生存者の証言、尖閣列島の自然と戦時遭難事件の検証などが集録されている。
 同書によれば、慰霊之碑には85名の犠牲者の名前が刻銘され、以下の碑文が記されている。

 太平洋戦争末期の1944年7月、日本軍は台湾航路の制海空権が米英軍に掌握されていたにもかかわらず、石垣町民に台湾疎開を命じた。1945年6月30日、最後の疎開船、第一千早丸と第五千早丸は老人・婦女子180名余を乗せて午後9時過ぎ石垣港を出港し、西表船浮港を経由して台湾へ向けた。7月3日午後2時頃、尖閣列島近海を航行中に米軍機に発見されて機銃掃射を浴びた。船上は阿鼻叫喚のるつぼと化し、銃撃死、溺死と多数の死者が出た。第五千早丸は炎上沈没、第一千早丸は機関故障で航行不能となったが乗組員の必死の修理で魚釣島に漂着することができ、九死に一生を得た。
 約1カ月近くの集団生活で食料も底をつき、餓死者も出るなど極限状態となった。頼みの千早丸も流出して連絡手段を失った人々は小舟をつくり、決死隊を編成し8月12日午後5時過ぎ石垣島へ向けて出発し、同14日午後7時頃、川平の底地湾に到着した。この救助要請によって生存者が救助され、同19日石垣港へ到着した。
 魚釣島は無人島で遠隔地であることから、現地での慰霊を行うのは困難な為、この地に慰霊碑を建立し、御霊を慰め、併せてこの悲惨な戦時遭難事件を後世へ伝え、人類の恒久平和を祈念する。
                                                                                                       2002年7月3日
                                                                                           尖閣列島戦時遭難死没者
                                                                                                 慰霊之碑建立期成会

 生存者の証言は、石垣市史編集室『市民の戦時戦争体験』と沖縄県教育委員会『沖縄県史 第10巻』から再録されたものだが、米軍機の攻撃を受けて乗船者が死傷した様子や、尖閣諸島の魚釣島での飢餓に苦しんだ生活が生々しく語られている。
 また、同書には1994年8月16日に開かれた「台湾疎開者生還者の集い」の記録も収録されている。そこには49年の時を経ても自らの体験を語り得ない生存者の苦しみがにじみ出ている。書名の『沈黙の叫び』は、生存者の沈黙の底にある心の叫びに耳を傾けようという意思を示すものだ。

 生存者の証言を読み、その「沈黙の叫び」に耳を傾けようとする時、同事件の慰霊祭を口実に尖閣諸島にくり出し、魚釣島に上陸した地方議会議員やチャンネル桜スタッフらの愚劣さが、あらためて目につく。香港の右翼ナショナリストに対抗してなされた彼らの行為は、戦時遭難死した人々の霊を慰めるどころか、逆に踏みにじるものだ。遺族の心情を思いやる気配りや、犠牲者を悼む気持ちが本当にあったなら、わざわざ事を荒立てる行為をできるはずがない。
 憂国の志士を気取ったヤマトゥの議員・ネット右翼らの行為は、沖縄戦の犠牲者を政治的に利用してナショナリズムを煽り、尖閣諸島をめぐる日中の対立を意図的に拡大する、悪しき売名行為でしかない。自分たちはヤマトゥに帰れば何の被害も受けずに暮らせるだろうが、沖縄では観光や経済、各種交流事業などに実害が出るのだ。
 尖閣列島戦時遭難者遺族会会長へのインタビュー記事を読むと、彼らの行為がいかに独善的なもので、遺族会の意向に反していたかが分かる。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195921-storytopic-1.html

 領土議連らの行為にほくそ笑んでいるのは、東アジアで軍事的緊張が高まることで利益を得る日米の軍産複合体であり、それに対抗して強化を進める中国の軍部・軍事産業だろう。日米両政府からすれば、MV22オスプレイの配備や先島への自衛隊配備だけでなく、集団的自衛権、ガイドライン(防衛協力のための指針)、武器輸出三原則などの見直しを次々と進めていく口実ともなる。
 67年前、日本「本土」防衛のために沖縄人の命と生活は軽々しく扱われ、犠牲にされていった。その構造はいまも変わっていない。尖閣諸島における戦争の歴史を忘れず、領土をめぐる対立を悪化させて先島への自衛隊配備を進めようという動きに抗するためにも、『沈黙の叫び』を多くの人に読んでほしい。

http://jaima.net/modules/guide6/content/index.php?id=36

 

 

 


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