8月8日付の県内紙は、沖縄に枯葉剤(エージェント・オレンジ)のドラム缶2万5千本が貯蔵されていたという記事を、1面トップに掲載している。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-08-08_37453
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195371-storytopic-1.html
両紙の元になっているジョン・ミッチエル氏のジャパン・タイムズの記事は、「合意してないプロジェクト」のホームページで翻訳を読むことができる。
http://www.projectdisagree.org/2012/08/25japan-times-10.html
ジョン・ミッチエル氏は、現地を歩き、直接の当事者に取材し、公開情報を収集・分析するという調査報道を重ねることによって、沖縄における米軍の枯葉剤使用の実態を明らかにしてきている。政府や軍が情報を独占し、都合の悪い事実は隠蔽しようとすることに対し、枯葉剤の被害を受ける市民の側に立って粘り強く追及し、権力による情報の独占・事実の隠蔽に風穴を開けている。
今、牧野洋著『官報複合体ー権力と一体化する新聞の大罪』(講談社)という本を読んでいるのだが、その中に調査報道について次の一節がある。
〈調査報道は「権力が発表したがっているニュース」ではなく、「権力が隠したがっている秘密」を暴き出すのを特徴としている。当然ながら裏付け取材に時間がかかる。数ヶ月、時には数年かけて取材しても最終的に記事にできないこともある。原稿の出稿本数は減るから、新聞社としては記者増員などで穴埋めしなければならない。
記事を出したら出したで、権力側から袋だたきにされるかもしれない。巨大広告主である大企業を相手にしていれば、広告出稿の打ち切りを覚悟する必要がある。さらには、どんなに裏付け取材を徹底していても、当初は「事実無根」と完全否定されるのがオチだ〉(260〜261ページ)。
同書は元日本経済新聞記者の著者が、自らの記者時代の体験を振り返りつつ、日本と米国の新聞社のあり方を比較し、検証したものだ。日本独特の記者クラブの問題をはじめ、権力によるリーク(情報漏出)に依存し、そのために権力への批判・監視というジャーナリズムの本道を忘れ、逆に癒着していく。調査報道よりも〈いわゆる「日付モノ」が重宝されるなど速報ニュース至上主義がある〉(141ページ)ことなど、日本の新聞社の現状に切り込み、問題点を指摘して批判している。
同書を読むと、枯葉剤問題について長期にわたって取材を続けているジョン・ミッチエル氏の苦労や記事の意義について、あらためて考えさせられる。権力ではなく市民の側に立ち、時間をかけて問題を掘り下げ、隠された事実を明らかにしていく。そういうジャーナリストの努力が、市民の運動を支える力となる。
もう一つ、オスプレイ配備問題に関連して、次の記事が目についた。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1678
『週刊文春』の記事にあるように、〈オスプレイ配備への悪影響を恐れ〉、日本政府が米兵の逮捕を遅らせているとしたら、言語道断である。連日、オリンピック関連の番組、記事でテレビも新聞も埋まっているが、このような重大事件がオリンピック報道の陰に隠されてはならないはずだ。日米地位協定の問題とも関連する事件であり、沖縄のメディアも追及してほしい。