30日(水)は夕方から、今帰仁村の島ぐるみ会議の総会で話をさせてもらった。今帰仁村は米軍基地も自衛隊基地もない静かな農村だ。軍事基地がないから軍用地料は入ってこないが、米軍機の騒音や米軍がらみの事件・事故に脅かされることはほとんどない。
いま振り返れば、そういう環境で育ったから、琉球大学に入って米軍基地を新鮮な目で見ることができたのかもしれない。生活の中に基地があるのが当たり前ではなかったのだ。入学した1979年当時は喜瀬武原実弾演習が行われていた。初めて県道104号線に座り込んだ時、頭上を飛んでいく砲弾のシュルシュルいう音や、はらわたに響くような着弾音を肌で感じた時の衝撃は今も忘れない。
同年の8月にはフォートレスゲイル(要塞の嵐)という大演習が沖縄で行われた。上陸演習に反対する現地闘争に参加した時、実戦さながらの演習がすぐ目の前で行われているのを見て、沖縄でこんなことが行われていたのか、とこれも大きな衝撃を受けた。現場を自分の目で見て確かめる。見たことを自分の頭で考えて判断する。そのことの重要性を知ったのは、この時かもしれない。
沖縄にいるから米軍基地のことをよく知っているかといえば、そうではないのだ。大学生の頃は宜野湾市にも住んでいたが、普天間基地や嘉手納基地のまわりに住んでいる人でも、北部訓練場で行われている米軍の訓練の様子を見た人は少ないだろう。私も高江のヘリパッド建設反対運動に参加して初めて、森の中で訓練する米兵の姿を実際に目にした。
総会後の講演では、辺野古の海上での抗議行動について、写真や動画を中心に紹介した。キャンプ・シュワブのゲート前に座り込んではいても、辺野古の海・大浦湾でカヌーチームがどういう闘いをくり広げているかを目にする機会は少ないだろう。紹介の機会を与えていただいた、今帰仁村の島ぐるみ会議の皆さんに感謝します。
これまで何度か紹介してきたが、上の写真は辺野古岬と長島の間の海域である。水深4~5メートルほどだが、海底がくっきりと見える透明度で、晴れた日の海の色は素晴らしい。辺野古岬と長島の間を抜けて大浦湾から平島の方へ流れる潮の流れが速く、それが辺野古の海でも格段の透明度を生み出しているのだろう。
新たに辺野古岬で着手されたN4護岸とそれに続くK8護岸が造られれば、岬と長島間の潮の流れが遮断され、この海域は大きな打撃を受けるだろう。なんと愚かしく、悲しいことだろうか。こういう海が破壊されていいのか。辺野古新基地に賛成、どちらでもない、と思っている皆さんに、ぜひ機会を作って辺野古の海を自分の目で確かめ、ゲート魔の抗議に参加している人と話す機会を作ってほしい。
辺野古新基地が進まなければ普天間基地が固定化される。そういう政府の脅しに惑わされて、沖縄県民同氏が対立し、基地の負担と犠牲を押し付けあうのは理不尽なことだ。どうしてこういう海を破壊してまで、県民同士が苦しめ合わなければいけないのか。そう仕向けているのは誰なのか。そのことを見極める必要がある。
いまこそ辺野古へ行こう。自分の目で見て、自分で確かめ、自分の頭で考え、判断しよう。沖縄にとって大切なものは何なのか。何を失ってはいけないのか。将来に残すのは何なのか。県民投票で1票を投じる前に行動してほしい。