写真は6月30日の普天間基地。この日は市民に開放されていた。
7月6日付琉球新報に〈防衛相が試乗検討〉という見出しの記事が載っている。
〈森本防衛相が今月下旬を軸に調整している米国訪問に際し、沖縄配備計画への反対論が強まる米軍垂直離着陸輸送機MV22オスプレイへの試乗を米側に打診していることが5日、分かった。政府筋が明らかにした。相次ぐ墜落事故で高まった安全性への懸念を払拭する狙い。
米海兵隊はオスプレイを米南部ノースカロライナ州と西部カリフォルニア州にある2基地に配備。米側の協力が得られれば、パネッタ国防長官との会談を見込むワシントン周辺に機体を運び、試乗する可能性もある。実現しなかった場合、安全確認後に米軍岩国基地で実施予定の試験飛行の際に登場する方向で調整する。
オスプレイは、主翼両端のプロペラの角度を変え、ヘリコプターのような垂直離着陸と、固定翼機並みの高速飛行ができる特徴を持つ。米側はモロッコと米国での墜落事故のいずれもプロペラ部分を前傾させた「転換モード」の状態で発生したと説明している〉
森本大臣は自分が試乗すればオスプレイの安全性が証明され、それで沖縄県民の懸念が払拭されると本気で思っているのだろうか。そういう発想や行為自体が、沖縄県民を愚弄するものであり、余計に反発を煽るだけだということを、森本大臣は自覚できないのだろうか。おそらくは、そういうことは承知のうえで県民に対して居直り、自分が努力しているという姿勢を米政府と日本国民に見せたいだけなのだろう。
森本大臣は6月30日から7月1日にかけて来沖し、佐喜真淳宜野湾市長や仲井真弘多県知事、オスプレイの訓練が行われる予定の自治体首長らと面談を行った。6月30日は53年前に石川市(当時)の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落した日である。その日に森本大臣が宜野湾市を訪れ、佐喜真市長にオスプレイ配備についての理解を求めたことで、53年前の墜落事故の記憶(歴史)と目の前で進むオスプレイ配備という現実が結びつけられ、県民のオスプレイ墜落への不安や恐怖は、より生々しく予感されるものとなった。
森本大臣の無神経な来沖は、首長や県民を説得するどころか逆効果となったのだが、軍事問題の専門家であり『普天間の謎』という著作をもつ森本大臣が、6月30日に沖縄を訪ねることで生じる県民の反応について、予想できなかったとは思えない。森本大臣は訪沖前の記者会見で、「地元を説得する自信はない」とも述べていた。
6月29日に米政府は、MV22オスプレイの普天間基地配備について、日本に「接受国通報」を行った。そのことを報じた6月30日付琉球新報には、オスプレイと交替する予定のCH46中型輸送ヘリの解体作業に米軍が入ったことが報じられている。7月2日(日本時間3日)にはオスプレイ12機を積んだ民間運送船が米国を出港した。森本大臣の来沖は結局、オスプレイ配備を進める米政府のスケジュールにあわせた体裁づくりでしかなかった。オスプレイ試乗もまた然りだ。
7月5日に沖縄県議会の与野党4代表者による代表幹事会が開かれ、MV22オスプレイの県内配備に反対する県民大会を8月5日に開催することが確認されている。これから実行委員会が結成され、大規模な県民大会となることは間違いない。大勢の県民が集まり、大会を成功させることは当然として、問題はそのあとの行動だ。決議文をもって実行委員会の代表が東京へ行き、政府に要請するという従来の行動をくり返すだけで、オスプレイの配備を阻止できるだろうか。
日米両政府はすでに、沖縄県民の行動パターンを読んでいるはずだ。沖縄の声を重く受け止めたい、と深刻な顔をつくって決議文を受け取り、少しばかり改善はしても根本的な対処はしない。日本政府のやり口は同じである。県民大会は成功しても、日米地位協定の改定は進まず、教科書の検定意見は撤回されなかった、という過去をくり返してはならない。
県民大会の会場に予定されている宜野湾海浜公園だけでなく、普天間基地のゲート前に県民が集まって、基地機能をマヒさせるだけのとりくみをしなければ、米軍はオスプレイの配備と運用を平然と進めるだろう。そして、普天間基地は固定化される。日米両政府も米軍も沖縄人をなめていて、県民大会をガス抜きくらいにしか見ていないのではないか。
オスプレイが「転換モード」で飛行するのは、〈離陸後の加速や着陸前の減速時〉とされる。つまり、「転換モード」状態での事故は滑走路の近くか基地周辺の市街地への墜落という大惨事に結びつく。本気でオスプレイの配備に反対するというのなら、従来の県民大会のパターンを超えたとりくみを行う必要がある。