7月2日付県内2紙は、1日に行われた仲井真弘多知事と森本敏防衛大臣の会談のようすを伝えている。米国の意向に添いオスプレイの普天間基地配備を前提に説明する森本大臣に対して、仲井真知事は拒否の姿勢を示し、会談後の記者会見では、配備を強行して事故が起きれば「全基地閉鎖という動きに行かざるを得ない」とまで発言している。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-193316-storytopic-3.html
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-07-02_35840/
のらりくらりと曖昧な表現をすることの多い仲井真知事にしては、「全基地閉鎖」という表現はかなり強い言い方だ。それだけ沖縄内に不満と不安、怒りが充満していることを知事は感じているのだろう。だが、森本大臣は知事の言葉をどれだけ真剣に受け止めただろうか。このままなら政府は既定方針としてオスプレイ配備を強行する。それに対し、知事は自らの発した言葉を、言葉だけで終わらせるのではなく、行動で示して政府の動きを止めなければならない。オスプレイ配備に関し、政府と沖縄の間に妥協はいっさいあり得ないはずだ。
以下に、6月15日付琉球新報に寄稿した文章を載せる。
6月4日に野田改造内閣が発足した。直後に、MV22オスプレイの沖縄配備をめぐって、政府の沖縄に対する無神経かつ高圧的な姿勢を示す報道が続いた。
就任したばかりの森本敏防衛相が、モロッコでおきたオスプレイの事故原因が明らかにならなくても、予定通り沖縄に配備される可能性を述べたという報道。そして、6月23日の慰霊の日に来沖する野田首相が、同じ日に仲井真知事にオスプレイ配備への理解を求める方向で調整に入った、という報道である。
沖縄側の反発を察してかその後、藤村修官房長官は、慰霊の日に知事に要請するという報道は事実無根としている。さらに日米両政府は、いったん岩国基地にオスプレイを搬入し、試験飛行したあと沖縄に配備する考えを示している。
火消しに懸命になっているのだろうが、圧倒的多数が反対している県民世論を無視して、オスプレイを沖縄に配備する方針は変わっていない。仮に岩国市で試験飛行をしたところで、それは「安全性」をよそおうアリバイ作りにすぎない。
オスプレイの沖縄配備をめぐる経緯は、日本政府がいかに県民をあざむき、愚弄してきたかを示す歴史である。森本防衛相の著書『普天間の謎』によると、オスプレイの開発が始まったのが1982年。テスト中に4回の事故を起こして死傷者が続出し、当初から機体の構造的欠陥が指摘されてきた。
オスプレイの沖縄配備は、92年6月に米国海軍省が作成した「普天間飛行場マスタープラン」に、すでに記載されていたことが明らかになっている。今から20年も前のことだ。
96年12月の日米特別行動委員会(SACO)最終報告の草案でも、オスプレイの沖縄配備は明示されていた。しかし、当時の防衛庁運用課長だった高見沢将林氏は、沖縄からの問い合わせに明言しない旨の答弁を日米間で調整し、オスプレイ配備の隠蔽をはかった。
県内のメディアはこれまで、くり返しオスプレイの沖縄配備計画を報じてきた。辺野古や高江で基地建設に反対している住民や市民団体も、情報公開を求め続けた。しかし、政府・防衛省・沖縄防衛局は事実を隠し、シラを切り通した。行政として果たすべき説明責任を一切、放棄したのである。
沖縄防衛局がオスプレイの普天間基地配備を沖縄県や宜野湾市、名護市など関係自治体に正式に伝達したのは、昨年の6月のことである。そのために辺野古「移設」にむけた環境アセスメントでも、オスプレイは調査対象とならなかった。
なぜ日本政府・防衛省・沖縄防衛局は、そこまで徹底してオスプレイの沖縄配備を隠してきたのか。オスプレイの危険性や騒音被害をよく知っていたからだ。事実を明らかにすれば、沖縄で大きな反対運動が起こることが予想できたからだ。そこには沖縄県民に嘘をついて、問題を先送りする姑息な計算があるだけで、県民の声に耳をかたむけ、ともに考えるという誠実さは、かけらもなかった。
アメリカの要請に従ってオスプレイを配備する。沖縄県民がどれだけ反対しようと関係ない。日本政府がこの20年間つらぬいてきたのは、沖縄県民を人とも思わぬ傲慢な姿勢である。オスプレイはまさに、日本政府の「沖縄差別」を象徴する軍用機である。
野田政権は今、消費税率の引き上げ、大飯原発の再稼働、オスプレイ配備へと、ブレーキのない車のように突っ走っている。通りいっぺんの集会や抗議行動では、この動きを止めることはできない。実際にオスプレイ配備を阻止するためには何が必要か。私たちは真剣に考え、議論し、行動する必要がある。大惨事が起こってから、あの時もっと反対しておけばよかった、と後悔しても遅い。