11日(月)は朝、台風対策で片付けてあったテントの再設置を行った。そのあと船(ウマンチュ)に乗ってK4護岸や辺野古岬周辺の様子を見た。
下の写真はK4護岸の今朝の状況だが、左側から伸びているのがN3護岸から折れ曲がった部分。右側から伸びているのがN5護岸から伸びてきた部分だ。双方の先端部を囲っていた汚濁防止膜は、先週の金曜日(8日)で一つになってしまった。
これだけ護岸で囲われてしまうと、すでに内部の潮の流れは大きな影響を受けているだろう。稀少サンゴをはじめ、内部の生物はどうなっているのか。地域住民の生活を支え、多くの生き物を育んできた豊饒の海が、いま死に向かいつつある。
K4護岸の奥には海岸線沿いに伸びる仮設道路が見える。今日も根固め用袋材の設置が進められていて、ここももうすぐK1護岸につながろうとしている。灰色の石の壁の向こうには、昨年までウミガメが産卵に上がった砂浜がある。しかし、今はもう壁に阻まれて上がることはできない。
K4護岸の辺野古岬側の先端部では捨て石の投下が行われていた。辺野古岬にできているN3護岸との間はもう100メートルもないだろう。近くに稀少サンゴがあるため、沖縄防衛局は汚濁防止膜を4重にし、1日あたりの石材の投下も回数を減らしているという。
しかし、稀少サンゴのすぐそばで石材を投下して悪影響を与えないはずがない。そのことをごまかすためか、稀少サンゴの上に置かれていたと思われる筏が先週撤去された。日本政府・沖縄防衛局は当初の予定から1か月遅れ、8月に囲い込んだ内部に土砂を投入すると打ち出している。当面、それを阻止するために全力を尽くさなければならない。
9月の名護市議会議員選挙や11月の沖縄県知事選挙の前に、護岸をつなげて埋め立て土砂を投入する。そして、名護市民・沖縄県民のあきらめを誘い、選挙に勝利して政府の言いなりになる議員、知事を作る。そういう政府の狙いを打ち砕くために、限られた力をどこに注がねばならないか。まずは海やゲート前の抗議行動に1日でも多く参加したい。
久しぶりに辺野古岬の大浦湾側の様子を見ると、海岸線の古い護岸が撤去されて土手が削られ、大きく様変わりしていた。海に伸びる新たな護岸工事の準備も進められているのではないか、気になる。
大浦湾側の仮設道路では、根固め用袋材の設置が行なわれているようだった。
船で様子を見たあと、テント2に戻ってカヌーチームで話し合いを持ち、松田ぬ浜からカヌー8艇で抗議行動に出発した。K4護岸の松田ぬ浜側の先端部で捨て石が投下されていたので、そこを中心に抗議行動を展開した。
海上保安庁では毎年6月~9月中旬の間に、「未来に残そう青い海」をコンセプトに小中学生の図画コンクールを開催しているという。新基地建設に反対してオイルフェンスを越えると、海保がカヌーを拘束して米軍の警備員の役割を果たす。沖縄の青い海を破壊して、未来に米軍基地を残そうとしているのだ。海に飛び込む海保たちは、矛盾を感じないのか。
午後は時おり雨が降ったため、K4護岸までは行かずに浜の近くで紛失物を探した。すぐ近くでは米軍の水陸両用車が訓練を行っている。鍛えられた米兵たちは、次はどこの戦場に向かうのだろうか。殺された人の家族は泣き、兵器を売って儲かった軍需産業は笑う。
この日は朝、米空軍嘉手納基地所属のF15戦闘機が、那覇市沖に墜落したとのニュースが入った。国頭村安部にオスプレイが墜落し、東村高江ではCH-53Eヘリが不時着直後に炎上、大破した。辺野古でもいつ墜落事故が起こっておかしくない。多発する米軍事故の犠牲者を出さないために、座して眺めていてはいけない。