19日は午後6時から名護博物館で開かれた上原米子さん(三高女21期)の講演を聴きに行った。
上原さんは、本部半島の八重岳にあった野戦病院での看護の手伝いや逃避行の様子を、みずから描いた絵を見せながら語った。
負傷した日本兵の足を軍医が麻酔もかけずにノコギリで切断したが、兵隊は一言も漏らさずにこらえ、足が切り落とされると「あーやっと軽くなりました」と冗談さえ口にした。上原さんはその精神力に感心したという。
八重岳には大砲を運んであったが、一発でも撃つと何十発も返ってくるので撃てなかった。反撃しないことに腹を立てた兵隊がいて、宇土隊長に抗議しに行ったが、副官に刀で袈裟懸けに斬られ、軍医が駆けつけた時にはすでに死んでいた。
4月16日に八重岳から多野岳に撤退を開始したが、歩けない患者は一ヶ所に集められた。患者たちに乾麺麭一袋と手榴弾を置いてきなさい、と軍医に言われてその通りにした。その場を立ち去る時、後ろから「海ゆかば」を歌う声が聞こえた。患者の中で逃げ出した人がいて、その人の話によると、重傷患者たちがいた小屋は、米軍が焼き払ったのか炎上していたという。
ほんの少しの差で生死が分かれた逃避行の様子や、墓の中に隠れて生き延びたことなど、上原さんはみずからの戦争体験を40分ほど話された。ひめゆり学徒隊のことはよく知られているが、北部の女子学徒隊のことはほとんど知られていないので、自分たちの体験を伝えないといけないと思い、高校生や大学生を相手に話をするようになったとのこと。
会場からの質問や意見も相次いで、戦争体験を受け継いでいくとりくみを、次の世代が担っていく意思も語られた。博物館での展示は24日(日)まで。その後、名護市立中央図書館でも展示が行われる。
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上原米子さんの講演会
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