25日(月)は朝、カヌー13艇で松田ぬ浜を出発した。大浦湾は波風が強く、汀間漁港からの出港はあきらめ、辺野古漁港を出た抗議船2隻と合流してN5とK1の護岸工事に抗議した。
前日24日の日曜日に辺野古側のオイルフェンスが拡大され、臨時制限近くまで広範囲に張りめぐらされた。オイルフェンス沿いに様子を見ながらN5護岸まで漕いだが、条件がどれだけ厳しくなろうと、それに屈して諦めるわけにはいかない。
N5護岸では先端部が予定の273メートルに達したとのことで、捨て石の投下はなく側面部に被覆ブロックを設置する作業が行われた。仮設道路からの長さは200メートルくらいにしか見えないが、仮設道路との合流部や捨て石が行われていない浜の部分を含めて、陸上から273メートルの地点に先端部が達したということらしい。
オイルフェンスが広範囲に広げられたため、抗議できる場所もN5護岸の片側(辺野古岬側)に面したオイルフェンス沿いだけとなった。海保からすれば守備範囲が半分に減ったわけで、さぞ楽だろう。カヌーチームとしては毎日、1艇でも多く参加者を増やすことが重要になる。
ぜひカヌー教室に参加して、新たな漕ぎ手となってほしい。
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K1護岸では午前中、先端部に根固め用袋材が設置されている。年末年始の休み期間中、先端部を保護するためだろう。
その後は側面に被覆ブロックを設置する作業が行われた。こちらもオイルフェンスを越えた抗議行動は片側からしか行えなくなった。それでも抗議船がオイルフェンスを押して協力してくれたおかげで、カヌーメンバーが護岸の近くまで行き、短時間だったが作業が2度止まった。
世間はクリスマスだというのに、そんな気分などかけらもなく、辺野古では新基地建設が進められ、冷たい北風にさらされながら抗議行動が続けられている。明日は辺野古の座り込みが始まってから5000日の節目となる集会がゲート前で午後12時からある。その前の名護市民投票からは20年が経った。
なんと長い闘いであることか。基地問題に費やす時間を、もっと生産的なことに振り向けることができたら、沖縄の各分野でもっと有意義な成果が生み出せるのに…。米軍による事件・事故だけが基地被害ではないのだ。
基地は沖縄経済の最大の阻害要因というだけではない。ウチナンチュー1人ひとりの人生にとっても、大きな阻害要因なのだ。