27日も午前3時半起床で、早朝から高江で抗議行動に参加した。暗い中でN1表ゲートに入ってくる作業員車を警戒し、南北でチェック体制を敷いた。南側では作業員車は午前7時半を過ぎても姿を見せなかった。こちらがチェック体制を敷く前は午前7時にはN1表ゲートに入り、敷いてからは時間を早めて午前5時半前に入っていた。警戒態勢をきちんととることで作業開始を遅らせている。
午前7時44分頃、チェック体制を敷いている場所に機動隊のバスがやってきた。すぐにメインゲートの北側に移動し、次の行動に移った。機動隊や砂利を積んだダンプカーの動きを見ながら、車を並べてダンプカーの車列に対する抗議態勢に入った。
それに対し警視庁機動隊を中心に、4本のタイヤにジャッキをはめて車体を持ち上げ、ダンプカーが通れるように1車線を開けていく作業が進められた。ジャッキには車輪がついていて、車を前後左右に移動できる。次の行動の参考になるよう、抗議しながらみんなでジャッキの使い方を観察している。
沖縄県警と警視庁機動隊は移動した車を片側に寄せてアングルで動けないようにし、さらに路上で抗議している市民を囲い込んで動けないようにした。そうやって片側1車線を開けていったが、20台ほどの車をどけるのに約1時間かかった。
車が集中して並べられていた場所を開けてダンプカーの車列を通そうとしたところで、北側から移動してきた車両が次の抗議行動を行った。機動隊は横1列になって県道70号線を封鎖して車両を移動したが、抗議しようとした市民が機動隊に力尽くで排除され、男性1人が衣服を破られた。
ダンプカーの車列が通過する際は、機動隊に体を押さえられ、写真撮影ができなかった。午前10時半頃ダンプカー10台がN1表ゲートから工事現場に入り、砂利を降ろし北上して引き揚げていった。前日26日に20トントレーラー車4台分の砂利が北部訓練場メインゲートに入り、残っているはずなので2回目の搬入があるかと予想していたが、1回だけで終わった。
南側から来た作業員がこちらの警戒態勢のためN1表ゲートにすぐに入れず、ダンプカーの車列の後ろについてしか入ることができなかった。この作業員グループの工事開始は午前11時以降となったため、20台分の砂利はこの日のうちに処理できないと判断した可能性がある。もし7時に入っていたら20台分が搬入されていたかもしれない。
この間、N1表ゲートの北側では、別のメンバーたちが監視行動に当たっていて、安波ダムの駐車場に沖縄防衛局の車両23台が集まっているのを発見し、ずっと警戒態勢を取っていた。ふだんよりかなり数が多いので、N1裏のテント撤去を警戒していたら、沖縄防衛局は駐車場を出て県道2号線を通り、国道58号線を南下して東村の宮城まで移動した。
いつもはダンプカーの車列が集まる場所に沖縄防衛局の車両23台が集まり、午後12時頃にN1を目指して移動を始めたので、赤橋の所で抗議行動を行った。最後は機動隊に囲まれて規制されてしまったが、沖縄防衛局の車は半分ほどが午後3時半頃までにN1表ゲートに入り、残りは引き返した。午前7時前には入る予定だったろうから、大幅に予定が狂ったことになる。
高江を午後3時過ぎに引き揚げたが、実家に寄って食事と休憩をとり、夜の9時ごろまで庭作業を行った。夏場は草や木の茂るのが早いので、いくら手入れしてもきりがない。さすがに疲れて、ブログの更新は翌日に回した。