それは住民虐殺に関しても言える。女性が殺される場面を見た三人の元師範学校生、川崎正剛氏、渡久山朝章氏は虐殺現場を第六坑道口近くの、山内昌健氏は第五坑道口近くの師範学校実習田としている。殺害場所は参謀室から遠く、しかも屋外である。八原氏にしても〈司令部勤務のある女の子が、私の許に駆けて来て報告した〉(『沖縄決戦』P186)からその事実を知り得たのであって、報告がなければ知らなかった可能性がある。
そもそも神氏は航空参謀であり、航空作戦を立案・用兵するのが本務である。八原『沖縄戦記』によれば〈軍紀風紀の取り締まり〉も神氏の〈業務の一つ〉(P186)だったいうが、スパイ取り締まりは彼の本務ではない。〈本土の芸者〉の例と同じく、神氏が知らなかったからといって、住民虐殺がなかったことにはならない。
同虐殺事件は元師範学校生3人が直接目撃し、八原氏の他に濱川氏も『私の沖縄戦記』で触れ、1992年6月24日付琉球新報の山城次郎氏の証言もある。師範学校生、軍人、一般住民と立場が違う複数の証言がある意味は大きい。これだけ証言、資料がそろっているのに、神氏が言及していないことを理由に、第32軍司令部壕近くでの住民虐殺を県当局が否定するのは、論理性のかけらもなく、でたらめ極まりない。司令部壕の説明板に「住民虐殺」を記述するのは、当然のことである。
神氏については、以下の資料も紹介しておきたい。
2010年2月23日付東京新聞に、戦時下の沖縄県民に対する神氏の認識を記したメモに関する記事が載っている。下記のサイトで読むことができる。
http://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/201003110000/
記事にある神氏の〈メモ集〉は「内閣府沖縄振興局 沖縄戦関係資料閲覧室」のサイトで読むことができる。5点の資料が公開されているが、東京新聞の記事に関しては「神日誌 其二 第三十二軍参謀 陸軍中佐 神直道」の162/202などを参照のこと。
http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305336
また、「回想録 陸軍中佐神直道」の16/99には辻の女性たちについての記述がある。併せて参照してほしい。
http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305318
「神日誌 其二」に記された沖縄県民に対する認識は、第32軍司令部の幹部が沖縄戦当時、県民をどのように見ていたかを示している。〈(三)本県人のスパイ 甚だしきは落下傘にて潜入(本県人)を目撃 追跡せることあり〉とあるが、落下傘で敵地に侵入することは容易ではない。自衛隊でも空挺団はエリート部隊である。南洋群島で捕虜にした沖縄出身の民間人にできることではなく、〈本県人〉というのは米軍の二世の特殊部隊員を指しているのだろうか。
それにしても、仮にスパイを送り込むなら、狭い沖縄で昼間、落下傘降下するよりは、夜間、潜水艦で接近してゴムボートで上陸した方が確実だろう。そもそも落下傘で降下したという人物が、どうして〈本県人のスパイ〉だと分かるのか。〈目撃追跡せることあり〉とあるが、捕まえて自供させたとは記していない。捕まえてないなら、〈本県人〉や〈スパイ〉と確定することはできない。結局は、神氏の偏見に基づく沖縄県民のスパイ視でしかない。
〈電話線の故意切断〉というのも、実際には爆撃、砲撃によるものである。私は以前、通信隊にいた元日本兵の方から話を聞いたことがあるが、その方は首里の司令部壕と嘉数陣地の間を、砲爆撃で切れた電話線を接続するために、連日走り回ったことを話していた。繋いでもすぐに砲爆撃で切れ、空からは戦闘機が地上を移動する通信兵を狙い撃ちするので、命がけの作業が続いた、と話していた。
「神日誌 其二」のメモから分かるのは、第32軍司令部の幹部将校たちにあった沖縄県民に対する偏見であり、県民をスパイ視する傾向である。それこそが住民虐殺を生み出す背景にあったものである。
琉球新報に掲載された神氏のインタビュー記事は、残された神氏の著作、日誌などの資料と引き合わせて検証し、総合的に判断する必要がある。沖縄県当局は、どれだけ神氏の資料を検討したのだろうか。