12日は午前中、海上行動に参加したあと、午後から那覇に行き、県庁前広場で開かれた「ー日米合意から20年ー普天間基地の閉鎖・撤去、辺野古に新基地を造らせない県民集会」に参加した。
主催者発表で1500人の参加があり、20年たっても普天間基地の返還が進まなかった責任が「県内移設」=たらい回しに固執する国にあること。辺野古に新基地を造ろうという国の目論見を許さず、阻止しぬいていることの意義を確認した。
20年前はコザ高校で教員をしていた。1995年9月のレイプ事件のあと、デモや10・21県民大会に参加し、名護市議会の傍聴や辺野古区でのビラ配布など、沖縄市から足を運んでかかわりを持ち始めた。名護市民投票の時は宮古島にいたが、週末は帰って投票の様子を見た。
この20年、どれだけ日本政府の愚劣さを見せつけられてきたことか。しかし、日本政府が力ずくで沖縄への基地押し付けを進めても、沖縄県民はそれに屈しなかった。かつては「県内移設」を容認していた保守層や経済界にも新基地反対の意思は広がっている。
これ以上日米両政府が辺野古新基地建設を強行すれば、県民の怒りの矛先はキャンプ・シュワーブだけでなく嘉手納基地にも向かう。そのことを米軍は自覚することだ。米国の言うことしか聞かない日本政府なら、米軍に圧力をかけて米国政府を動かせ、という発想は着実に広がっている。
集会後、国際通りをデモ行進した。海上行動のメンバーも10名以上が参加し、風船で作ったアンパンマンの顔が通行人に受けていた。観光で来たらしい若者たちが近寄ってきて、アンパンマンの顔をかぶって写真を撮り、そのあと一緒にデモに参加していた。
久しぶりに那覇に来たので、桜坂劇場で「サウルの息子」を見て帰った。