https://www.youtube.com/watch?v=63pPYWsgSYA&nohtml5=False
6日は午後から石平のキャンプ・フォスターのゲート前で開かれた緊急抗議集会に参加した。同基地には在沖米軍四軍調整官事務所があり、米軍が県警や海保を飛び越して県民弾圧に乗り出していることに対し、700人が集まってゲート前で座り込んだ。
私が逮捕されたことが集会開催の理由の一つだったので、マイクを手にして逮捕時の状況などを話した。
辺野古代執行訴訟で国と県が和解し、海上と陸上での作業が中断して以降、カヌーでフロートを越えて台船の周辺を見て回っても、海上保安庁のゴムボートは近づきもしなければ注意もしない。海保がいっさい規制をしない中で、米軍が軍警備員を使い、直接的に県民弾圧に乗り出していることを批判した。
かつて琉球大学の学生たちが出していた『琉大文学』には、日本復帰前の沖縄の状況を描いた詩や小説が載っている。米軍のCIC(対敵諜報部)が民間の協力者を使って情報収集し、検閲と弾圧を行っていたのは1950年代、60年代のことだ。
しかし、いったん米軍基地内に連れ込まれ、監禁状態に置かれると外部との連絡もできず、弁護士との接見もできない。2016年の現在もこのような状況にあり、半世紀前の琉大の学生たちの話が生々しくよみがえった。
米軍の沖縄人警備員も上からの命令で動いている。この日もゲート近くで弾圧態勢を敷いていたが、その奥では憲兵隊の米兵たちが笑いながら抗議集会の様子を見ていた。これは71年間変わらない沖縄の軍事植民地の構図だ。どれだけ沖縄人が抗議しても、こうやって米軍が笑っていられるのは、彼らが沖縄人をなめているからだ。
だから何度でも米軍犯罪はくり返されるし、県警や海保の弾圧が手ぬるいと思えば、自ら弾圧に乗り出しても来る。黙っていれば米軍は増長する一方だ。彼らが笑っていられない状況を作り出すことが、私たちに問われている。彼らが沖縄で好き勝手に演習を行い、犯罪を犯す状況を変えなければならない。
https://www.youtube.com/watch?v=_6PSnVwVCdQ&nohtml5=False
午後4時前になり、もうすぐ集会が終わろうという頃になって、県警機動隊がゲート前の市民を強制排除し始めた。あと10分で終わるから待て、という声が市民から飛んでいるのに無視し、力づくで排除を続けるので、座り込んでいた市民が国道にあふれ出し、現場は大混乱した。
https://www.youtube.com/watch?v=dJfTL7aviSI
https://www.youtube.com/watch?v=UyA8zIv6Egc
https://www.youtube.com/watch?v=VuAlMmnagNo
機動隊が市民を強制排除した理由は、米軍の高官が乗った車を出すためだったらしい。米軍基地にはゲートがいくつもあり、一般の米兵が乗った車両はそこに回されていたようだが、この高官は県民の抗議集会など意に介さないことを示したかったのだろう。
それにしても、米軍の高官に顎で使われて、市民弾圧に乗り出している県警機動隊も情けない。米軍の演習事故や犯罪から県民を守ることはせず、米軍の利益を守るために存在しているのだろうか。これもまた軍事植民地の風景だが、米軍と県警が一体となった弾圧を許してはならないし、何度排除されても抗議を続ける。
https://www.youtube.com/watch?v=OPdl9v9WYkY
抗議集会は最後に「沖縄を返せ」を合唱して終わった。緊急の呼びかけにもかかわらず、700名の市民が参加し、在沖米軍司令部に怒りをぶつけたことは大きな意義がある。私自身もとても励まされたし、さらに抗議行動を続けていく意思を固めた。
抗議集会の間、MV22オスプレイが石平上空をくり返し飛行していた。転換モードやヘリモードで市街地上空を飛んでいたのだが、この日はいつも以上に地域住民からの苦情が多かったという。
普天間で危険だから辺野古に移せ、という議論は、沖縄の中で危険をたらい回しにしろ、というヤマトゥに都合のいい議論に過ぎない。日本の安全のためにオスプレイが必要だというなら、自分が住んでいる地域に積極的に誘致するか。危険な米軍基地は沖縄に押し付けておけ、というヤマトゥの欺瞞はもはや通用しない。