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資料:第32軍司令部壕説明板設置検討委員・新城俊昭さんの経過報告

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 3月17日に行われた〈県による「慰安婦」「住民虐殺」の記述削除についての緊急学習会〉では、第32軍司令部壕説明板設置検討委員のひとり新城俊昭さん(沖縄大学客員教授)が、この間の「経過報告・経過説明」を行った。説明板設置検討委員は公務であり、委員会での議論や削除に至る経過は、広く県民に共有されるべき情報だと考えるので、新城氏の発言から「経過報告・経過説明」に関する部分をテープ起こししたものを、以下に資料として紹介したい。なお、聞きとれなかった所は(…一部不明…)と示した。

 今、紹介いただきました新城といいます。よろしくお願いします。今日、私に与えられた時間は15分程度ということで、渡久山さんの証言が大変貴重ですのでね、そこに時間をとりたいということだと思います。
 ということで、コンパクトに分かるようにということで、まず新聞の綴りがあります。これでかなり経過が分かります。まず新聞の綴りですね。そして、A4の白紙1枚のものがあります。この2点でコンパクトに説明ができるかと思いますので、ご準備お願いしたいと思います。じゃあ限られた時間ですので話に移ります。
 皆さんご存じのようにして第32軍というのは、沖縄戦を遂行した司令部でありますよね。よくよく考えてみましたらですね、首里城、世界遺産になって沢山の観光客が来ます。それとはべっこにですね、南部戦跡もまたたくさんの観光客が来るんですよね。私は長い間高校の教師をしていましたが、平和学習で南部戦跡を訪れますし、それから全国から高校が千数百校も訪ねてきて、その大部分がやはり平和学習で南部戦跡を訪ねたりするわけです。
 冒頭に申しましたようにして、沖縄戦を遂行した第32軍について学ぶという意識は、実は意外にないんですよね。南部戦跡をまわって、次に首里城に来て、そこでもう戦争のことを忘れて、琉球ロマン、歴史、首里に行ってしまうという大変おかしな状況があるということを、歴史教育に携わっている私としては、首里城に行くたびに思うことがあったんです。
 なぜ首里城が焼け、首里城が復元されたのか。首里城を散策すれば、必ず分かるはずです。少し異質な部分の戦争遺跡がちらほらとあるので、これ何だろうな思うようなことがあります。しかし、何の説明もないということですね。前々からこれはおかしいことだし、きちんとここで第32軍があって、そのために首里城が焼けたんだということを含めて、しっかりと伝えるべきだと。
 幸いなことに世界遺産になったわけですから、戦争のことを学ぶつもりじゃなかった人も来るわけですから、そこで戦争も一緒に学ぶことができるということがあるんですが、32軍壕について何の説明もないと前々から大変不審に思っていたし、これはおかしいことだというふうに思いました。
 ちょうどそういった時にですね、県の方から32軍壕の説明板を設置するので委員になっってくれんか、ということで二つ返事で引き受けたのは、こうして平和教育に携わってきた人間として、首里城に第32軍壕の説明板がないということ自体がおかしい。ただ、92年頃でしたっけ、壕の中を調査して、壕を保存して、外部に公開するとかいうことが一時あったんですが、その後それがどうなったのかということもあって、結論から言えば、危険だというふうなことで、壕は公開できないということなったんですが、そうしたことが県民になかなか知らされない形でずるずるずると来ていただけに、あ、これはチャンスだということで、委員を受けました。
 その経緯については幸いですね、村上さんが書いています。これもですね、後ろから3枚目を見ながらいきたいと思いますが、村上さんが経緯などを書いてありますが、さらにですね、その委員に選ばれた人たちを見て、私はハッと思ったんですね。委員は5人にいます。池田榮史(よしふみ)さんですね、私、村上有慶(あきよし)さん、赤嶺雅(ただし)さん、そして長堂さんということで、5人です。
 この5人を見ましたらですね、いわゆる沖縄戦研究者という方ではなくて、例えば池田さんといえば考古学の専攻なんですね。彼はどちらかというと沖縄県の戦争遺跡の調査員ということで、戦争遺跡にかかわってきて、考古学手法で戦争遺跡をということで、新しい視点を取り入れた方なんです。
 私の場合は平和教育、いわゆる歴史教育の立場です。村上さんはご存じのようにして沖縄平和ネットワークの代表世話人でありますし、戦争遺跡保存全国ネットワークの共同代表でもあるということです。赤嶺雅さんは、この方は那覇市の都市景観審議会といって、県立芸術大学の先生ということで、内情ということよりも案内板をどのようにすれば、どういう形にしてデザインをすれば見てもらえるかという、デザインという部分から選ばれているわけですね。長堂さんは教育庁の文化課の課長です。つまり県の代表です。
 そこに不思議なことに、いわゆる大城将保さんとか、沖縄戦研究者と呼ばれる方はいないわけですね。ということは何かと言いましたら、沖縄戦に関する研究成果というのは、ある程度もう出ているわけなんです。そうするとでここにあるようにして、平和教育に使う、観光で使う、そこを訪れて来る人たちで使う、そういった人たちの視点で作ろうということがあるわけですね。
 それで私も参加したんですけれども、ただ、ちょっと残念なことに、私たちと(…一部不明…)したときに、ちょっと引っかかってる部分があったんです。海軍壕でしたら壕そのものが残ってますが、第32軍壕は危険だということで、公開が難しいということになった。ならば掲示板だけで、案内板だけですませるのか、という、ちょっとこれですべてなのかなという。であるならば、公開できないのならば、説明板も少し違う形で、結論からいうと、600字程度の文なんですよ。そうじゃなくて、説明板ではない、もう少し違う、大きな何か一つできないのかな、ってもやもやしながら私はきたんですけどね。結局、そこに32軍があったということの説明ということでしたので、もやもやしながらもOKした。
 さらに私としてはどうせならば、世界遺産の中にある異質な、この説明板。これは世界遺産の説明板はたくさんありますから、その中で埋没させないように、むしろ浮き立つ形できちんとやってほしいなという提案も、実はしました。だけどまあそれは色々とありまして、少し異質な形はするけど、あまり極端に違うのはどうかな、という話し合いがあったので、最終的には私がその案を取り下げる形になったんですが、でもほかのものとは同じにしないと、ちょっと違う形にするということにしたんですが、しかし、この流れからすると、デザインもどういうデザインになるのか、ちょっと気になるところです。
 ただ、問題は600字という限られた内容ですので、それをどう盛り込むか。ここで幸いだったのは村上さんがいらして、村上さんが委員でよかったのはですね、平和ネットワークであるということ、案内するということで、どちらかというと村上さんがリーダーシップを握るような形で、ここにやっぱり盛り込むならば、ということでやはり「慰安婦」とか、「住民虐殺」とかを、これはやっぱり避けられないだろうということで、積極的に彼の方から提案してもらいました。
 私たちもそう思ってましたので、同感です。ただ、意外だったのはですね、県の方がこれに対して、待てと言うのかなと思ったら、むしろ私たちが言うのを受け入れてきたので、あっ、ちょっと違うな、その時にちょっと私たちがもっと深く考えればよかったんですが、意外に私たちの言うことを聞いてくれた。
 ということで、600字にどう入れるか、これは大変なこれ、600字に第32軍、要するにあの、ほかの遺跡と違うわけです。ほかの遺跡でしたら、戦争遺跡でここであった出来事であればいいんですが、第32軍壕というのは、沖縄戦を遂行した司令部のあった壕なんです。そこの説明板ですので、これを600字で……、さっきから村上さんが(…一部不明…)彼は凄くて、彼は最初から1600字近く、2000字くらいぽんと出してきて、第32軍をやるならばこれぐらいないと書けないよ、と言って示してくれて、さすがだなと思ったんですけどもね。
 それを600字にしてくれということで、私たちとしては、じゃあということで、やるべきことをやってみましょうということで、ここにありますようにして、最初10月の25日に検討委員会がありまして、県から出されたものをまとめるとなると、とても沖縄戦の本質、第32軍の本質はとても書けないということで、これを持ち帰ることになりました。
 そこで県としては実はですね、私たちもそうだったんですが、まさか私たちが文案を作るとは考えてなかったんです。県がある程度の文案を作って、それに私たちが付け足したりするということだったんですけども、県はやはり文案は作りきれない、ということになって、そこで意外なことに、じゃあということで、私たちのいわゆる本来の仕事ではなかったようですが、私たちがじゃあ文案まで作りましょうということで、持ち帰って、文案を私たちが実は作るということになったんです。
 で、連絡しあいながら文案を作った。私も600字に押さえようとして押さえきれなくて、700字そこらでどうにかぎりぎり私は書きました。村上さんから、すぐその場に(…一部不明…)いくと、千何百字ぼんと来たので、さすがだな、と思いました。
 その時、ある提案をしようかな、とも実は思ってたんです。というのは、第32軍をやるのに、とても説明板程度ではすまないと。だからもっと違う施設というのを、というのが私の中にあったんですが、ちょっと呑み込んでしまったのは、ちょっと弱気だったのか、今思うと弱気だったのかなと思って、県から出された600字ということでやりました。私が書いたのが一番少ないので、700字程度なので、私の文案を中心に、そこに村上さんの意見などを組み込みながら、六百何十字かで、700字以内でどうにか収めた、それが事実。
 その時になぜ「慰安婦」「住民虐殺」を盛り込んだのか。もう大城さんが言われたとおり、沖縄戦の特質そのもので、それを遂行していた第32軍壕に書く意義は十分にあるということなんです。そして、県から渡された要項があります。その要項の中にもはっきりと書いてますね。沖縄戦の実相が分かるようにしてくれと。沖縄戦の実相が分かるようにするならば、書かなきゃいけない。
 ただ、そこで問題になったのが、いわゆる「朝鮮人慰安婦」もいます。いろんな「慰安婦」がいて、どうするかということで、結局私たちは、提起しただけで、この壕にいた人たちということで、そこに、いわゆる「学徒」とか、そして「慰安婦」ということで、たんに提起しただけです。これら「慰安婦」がどういう人たちだったか、どういう仕事をさせられていたか、ということはいっさい書くことができませんでした。600字ということの中ではどうしようもないことだったんです。しかし、無視はできない。ということで、提起しました。
 ところが、それを捉えて桜プロジェクトなるものをユーチューブで見たら、びっくりしましたね。彼らはまるでこう言ってるんですね。この32軍壕そのものが慰安所になって、そこで乱交パーティをしているような、ふうなことを私たちが書いてたみたいなことを言って、えーっとびっくりしてしまったんですけどもね。
 私たちは「慰安婦」がいたという、存在だけはとにかく残したかったと。私たちの力不足で、彼女たちがどういうことをさせられていたかというのは書けない、ということだったんです。そういう面ではむしろ力不足だった。しかし、「慰安婦」という言葉、三文字は削れない、ということなんです。
 「住民虐殺」にしても、これはもう沖縄戦の特質、これは構造的、私も新聞に書いたんですが、これは偶発的に起こったものではなくて、構造的に起こる仕組みがあって、実際に全県各地で行われている。先ほど大城さんが示された史料にあるとおり、びっくりする数の虐殺があるわけですね。これも実は司令部壕周辺で起こったということで、やはりこれを書くことによって、沖縄戦の実相に迫るだろうということでありました。
 そしたらですね、ここでちょっと断っておくとですね、沖縄戦研究、沖縄国際大学の吉浜先生が、新聞で「慰安所」については削除は妥当みたいな表現をしてるんですが、あれは(…一部不明…)新聞の(…一部不明…)みたいな感じがして、彼も送られてきた史料、データをたっぷり見て、彼は要するに司令部壕が「慰安所」になっていて、いわゆるそういった認識で彼は捉えてしまって、そう言ったんだと。「慰安婦」そのものがいたという面では異論はない、ということで、彼も実は私たちと共通の認識を持っているということだけは、伝えておきます。
 それであの、その後タイムスにも、たしか執筆していますので、実際あの、司令部壕の中で「慰安婦」たちがどういうことをされていたかといったら、むしろ壕掘りをさせられている。「慰安婦」以外の仕事をさせられているんですね。そういったことなどはここには盛られていない。ただ、「慰安婦」がいたという事実、そこを私たちははずしたくないと考えるということです。それから「住民虐殺」も。

 ………中略………

 経緯のことについてはですね、先ほど皆さん、これにありますようにして実は村上さんが中心になってですね、これはおかしいということで、私たちに何の相談もなく、池田委員長のところに削除しますと。ただですね、さっき大城さんが言われたんですが、県の方々はどっちかってたら(…一部不明…)みたいなこと言ってたんですが、よくよく考えてみたら行政がこの仕事をすることに無理があるというふうに感じますね。
 今は平和推進課が担当になるんじゃなくて、男女共同参画平和推進課とまとめられている。この方々がほんとに沖縄戦をはじめ平和教育、平和研究の専門家かというとそうではない。あくまで行政的なわけですよね。ですからこの人たちの常識からすれば、私たちの意見も実は、たった2回の審議ですけども積極的に受け入れて聞く。ということは担当者はですね、私たちの思いをそのまま説明板に残そうという思いは、あの時あったと僕は信じています。それが上に行く段階で、グサッとやられたんじゃないかという気がしています。
 というのは一つはですね、今日の新聞あたりは今度は、外国の板から「捨て石」が削られたとあります。その時に私たち委員に了解を得たと言っています。実は、私たちは語学の専門家じゃありませんから、圧縮するのはまかせました、はっきりまかせますと言いました。なぜまかせましたと言って、「捨て石」は削るなよとか、「住民虐殺」は削るなよと言わなかったか、といったら、あの2回の会合の中で平和推進課の方々と、ある程度共有していた、私たちの思いが伝わっていたっていう、共有していたというのがあるから、ある種の信頼関係があったから、疑いがないもんだから、あえて私たちは、あ、分かりました、協力お願いします、と言ってしまったんです。
 それが今では逆手にとられて、私たちの了解を得たと。私たちの中には、圧縮するというのは文章を圧縮するんであって、重要部分を削って圧縮するということは、当然どう考えてもありませんよね。それを逆手にとる形で、私たちの了解を得たって言ってたのは、そういうことじゃないかなと思います。
 ということで、おそらくこれはあの、部長あたりにいく段階で、色々こうやられていった経緯があって、この経緯を私たちはもう少しきれいに、きちっと知らなきゃいけないのかなと思います。これから本題に入ろうとしたら、残り(…一部不明…)とびっくりしました。それで、じゃあこういうことにしましょう。先ほどの新聞があります、これにですね、村上さんの方が新報の上の方で経緯を書いています。そして、中、下の方で「慰安婦」は存在したと。そして、下の方で「住民虐殺」は実際にあったんだということを書いています。
 そして、私はその前の方にタイムスです。タイムスで私は上・下と書いてありますので、なぜ私たちが「慰安婦」はいたということを自信を持って書いたかということ、「住民虐殺」が消すべきでないということがなぜか、私たちの思いというのは新聞に書いてありますので、それで了解してください。

 ………後略………

 


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