16日は瀬嵩の浜からカヌー9艇で出発した。ほかに辺野古のほうで4艇が初心者練習。沖縄も冷え込みが厳しく、濡れた手足の先がかじかんだ。寒さをこらえるには、カヌーを漕ぎ続けるのが一番いい。
辺野古弾薬庫下のフロート近くまで行き、コンクリートブロックを積んだ台船の様子を見た。まだ動く気配はなく、国と沖縄県が争っている代執行訴訟の影響があるのだろうか。裁判所が和解案を出す中で、ブロック投下を強行すればマイナスが大きい、という判断が働いているのか。
米軍のビーチではオイルフェンスが浜に並べられ、タグボートで引っ張って長島近くから航路方向に設置したり、海底ボーリング調査を行う海域を囲う形で設置作業行っていた。
福島県から抗議に来た皆さんを含めて、フロート沿いに並んで監視と抗議活動を行った。
そのあと緑のクレーン付き台船(第八十八福丸)が元の掘削地点に向かって動き出したので、カヌーチームも抗議船に乗り込んで長島側に移動した。
第八十八福丸は、この日は移動しただけで、海底ボーリング調査は行わなかった。前日まで海にあったというガイドパイプがなくなっており、その地点には目印らしいフロートが浮かんでいた。
作業船がオイルフェンスを運んできて、スパッド台船のそばから長島の岸壁そばまで伸ばし、ボーリング調査地点を完全に囲おうとした。カヌーチームがオイルフェンスをつなぐ地点で待ちかまえていたので、作業船は近づくことができず、設置作業を中断して引き上げていった。
カヌーチームがいなくなれば、作業船が戻ってきて設置するのは分かり切っていたので、その場に待機し持久戦となった。寒さが厳しい中、午後4時過ぎまで粘り、作業船が姿を見せなかったので、瀬嵩の浜に戻った。
カヌーチームの取り組みは、こういう地味で忍耐のいる活動が多い。ニュースやドキュメンタリー映画では派手な場面が並ぶが、それは何分の一もない。だが、海保とぶつからなくても、6時間以上カヌーに乗り続けるだけでもきつい。それを毎日続けることが成果を生むのだ。