2月6日は瀬嵩の浜から9艇のカヌーとゴムボート1隻、船5隻(マスコミ船1隻含む)で、海上作業への抗議行動に出発した。カヌーチームは二手に分かれて、大浦湾に設置されたオイルフェンスの東西南北を広範囲に移動しながら午前、午後と抗議行動を続けた。一つの班は午後、米軍のプライベートビーチ前に停泊しているクレーン付き大型台船の近くまで行き、抗議行動を行った。
昨年夏、辺野古の海の浅場で海底ボーリング調査が行われた際には、フロートを越えて抗議行動を行う機会は限られていた。従って海上保安庁に拘束されたのも8~9月で数回だったが、年が明けて大浦湾での抗議行動が行われている今は、1日に2回以上拘束されるのも普通になってしまった。臨時制限区域を示すと海保が一方的に言っているオイルフェンスの内であろうと外であろうと、「ただいま何時何分、これから必要な措置をとる」の一言で海保は拘束を始めるのだ。
クレーン付大型台船は午前10時半頃には作業を終えて引き揚げていった。米軍のプライベートビーチ前にコンクリートブロックを積んだバージ船が停泊していたが、積んでいた物はすべて投入したのではないか、という情報もある。もしそうならアンカーを打つ作業が終了し、次は新型フロートの設置作業に入る可能性がある。
新型フロートはすでに米軍のプライベートビーチの前に停泊している土砂運搬船に積まれて用意されている。全体はブルーシートで覆われているが、一部見えている浮き球は昨年から使用されているフロートより大きいようだ。海中に投入されている大型コンクリートブロックをアンカーにして、オイルフェンスの内側に設置されるのだろう。
オイルフェンスの東側の端は、長島の沖に航路を確保する形で切れている。その近くにはF27と記された45トンの巨大なコンクリートブロックが沈められている。外洋に近く、そばにはリーフがあって波が荒いため、これだけ大型のアンカーが必要となったのだろう。しかし、海面から見ても威容を感じる巨大なコンクリートブロックを沈めること自体が、大浦湾を破壊していることは言うまでもない。翁長知事の中止要請を無視して、安倍政権はこのようなコンクリートブロックを投入し続けたのだ。
写真のあとカヌーチームはクレーン付大型台船が停泊している地点を目ざして漕いでいった。途中で海保の不当拘束が始まり、9艇すべてがゴムボートに曳航されて瀬嵩の浜近くのオイルフェンスから出された。こういう巨大なコンクリートブロックが沈められているのを目の前に見たら、新基地建設に反対する人は誰でも抗議せずにいられないだろう。海底に横たわるコンクリートの塊は、選挙で示された沖縄の民意は踏みにじれ、という安倍首相の意思を象徴する物だ。
私が小学校の頃だから、沖縄が日本に復帰する前の1960年代後半から70年代前半のことだ。旧暦3月3日のぱまうり(浜下り)で家族と一緒に仲宗根や渡喜仁、越地、崎山の海に行くと、潮が引いたリーフはサンゴで覆われ、貝や小型のタコ、ウニなどがいくらでも捕れた。足の踏み場もないほどのサンゴで子どもたちはよく足を傷つけていた。それが「復帰後」の乱開発や赤土汚染、オニヒトデの大量発生、サンゴの白化現象などで見る影もなくなった。
45トンのコンクリートブロックが落とされた近くにはリーフがあり、岩場にサンゴが新しく成長しつつある。今は岩肌が目立つが、かつてはサンゴで埋め尽くされていたはずだ。失われた姿を取り戻すには何十年もかかるだろう。しかし、それも大浦湾の環境が守られて初めて言えることだ。辺野古の海、大浦湾を守るために、それぞれの場所でできるかぎりのことをしましょう。粘り強く、したたかに。