6日は糸満市の件平和祈念資料館に行き、「日系二世ウチナーンチュが見た戦中・戦後-母国と祖国の間で-」というシンポジウムを聴いた。沖縄戦に米軍の通訳兵として従軍し、うちなーぐちで投降呼びかけをした比嘉武二郎さんが91歳。終戦直後の神戸や舞鶴でCIC(対的諜報部)として活動したという大城義信さんが86歳。日系二世の元兵士たちの証言を生で聴ける機会は少ないので、糸満まで車を飛ばした。同シンポジウムは、一括交付金を利用してハワイ在住の戦争体験者20名から証言を記録し、来年以降、映像を公開していく企画の一環として開かれたとのこと。
比嘉さんはハワイで生まれたが、2歳の時に親戚の家があった北中城村島袋に移り、16歳まで過ごした。半強制的に行われていた満蒙開拓青少年義勇団の募集から逃れるためにハワイに戻った。陸軍情報部に通訳として従軍し、レイテ島で10・10空襲の時に撮られた沖縄の写真について上官に解説し、それがきっかけで沖縄行きになったこと。4月1日の沖縄上陸作戦時の思い、壕への投降呼びかけ、戦場で恩師や同級生と再会したときのことなどを話されていた。
比嘉さんは昨年のシンポジウムに続く来沖という。壕に向かって「いじてぃめんそーれ」とうちなーぐちで呼びかけたが、次々と壕を回らなければならなかったので、出てくるところは見られなかった。戦後50年に来沖した際、多和田トヨさんという女性と会い、壕のなかで手榴弾で自爆しようとしたところを、二世が呼びかけているから生きなさい、と言われて助かった、という話を聞かされて、自分の呼びかけが役に立ったことを知ったという。
大城さんはハワイで生まれ育ち、米軍対敵諜報部(CIC)として、舞鶴で帰還したシベリア抑留者に尋問したときのことや、1947年に故郷・沖縄を訪れ、祖母と面会したときのことなどを話していた。CICの活動内容など興味深かったが、通訳を介しての話で時間が短かったのは残念だった。両氏の証言をはじめ、ハワイで集めた証言映像を多くの人が視聴できるように、県平和祈念資料館のホームページで公開してほしい。
平和の礎を歩くのは6月23日の「慰霊の日」以来だった。県主催の平和祈念式典に参加した安倍首相によって、辺野古や高江では新たな米軍施設の建設が強行されている。国家安全保障会議の創設、集団的自衛権行使の閣議決定、特定秘密保護法の制定と施行、武器輸出三原則の廃止など、安倍首相は本気で、日本が海外で戦闘に参加する体制を作り出している。
もし自衛隊に戦死者が出て、自衛隊入隊希望者が激減したらどうなるか。前線で戦う若い兵士を確保するために徴兵制が必要となる。そのためには憲法9条を改悪して、国軍の保持を明文化し、国民に国家防衛の義務を課さなければならない。14日の衆議院選挙で自民党が大勝すれば、4年間でその道筋が引かれる。今度の選挙は安倍政権の経済政策だけが問われているのではない。むしろ安全保障政策こそが最大の争点であるべきだ。
沖縄戦の証言も、平和の礎も、現実の政治が戦争に向かって進むのを止める力として生かされなければ、虚しいばかりだ。沖縄がどれだけ頑張っても、日本全体がファシズム化の流れに呑み込まれれば、沖縄は真っ先にそのとばっちりを受ける。政治は嫌い、無関心といったところで、政治から逃れられはしない。有権者が無関心なうちに悪法を通そうともくろむ政治家を喜ばせるだけのことだ。そういう愚を犯してはならない。