1970年代半ば、県道104号線を封鎖して行われる米軍の実弾演習を、沖縄の労働者・学生は着弾地の山中に潜入し、体を張って演習を中止に追い込んだ。喜瀬武原(キセンバル)闘争と呼ばれるその闘いは、日米安保体制に風穴を開けたものとして、戦後沖縄の反戦運動の歴史においても特筆すべきものだ。しかし、その事実が今ほとんど語られず、伝えられていない。
著者の与並氏は当時、琉球新報の記者として、また沖縄マスコミ労協の一員として、キセンバル闘争に深く関わっていた。そういう著者だからこそ、山中に入っていった阻止団の行動や県当局、米軍、県警の動きを詳細かつ臨場感を持って描き出し得ている。
私が琉球大学に入った1979年には、すでにキセンバルでの実力阻止闘争は終わっていた。しかし、県道104号線を封鎖している機動隊の隊列の前で集会は開かれていて、初めて頭上を飛びすぎる実弾のシュルシュルという音を聞いたときの衝撃は、今もはっきり覚えている。県道に座り込んでいると、ズズンという着弾の振動が腹の底に響いた。
本書を読みながら、戦後沖縄の反戦・反基地運動に、沖縄戦の体験が及ぼしている影響の大きさを改めて感じた。昨年、MV22オスプレイの強行配備に反対して、普天間基地の主要ゲートを封鎖する行動が取り組まれた。その行動を支えた意思、思想、論理は、キセンバル闘争と通じるものがある。過去を懐かしむのではなく、今に再生させるものとして、キセンバル闘争は見直されるべき価値がある。本書はその一助となる。