朝鮮の軍事的「脅威」「危機」を煽ってほくそ笑む者たちがいる。朝鮮への対抗として沖縄・日本で軍備強化を進めようとする者たちだ。まるで今にもミサイルが飛んでくるかのように描き出し、市民の不安を煽って役にも立たないPAC3を配備する。PAC3を製造、販売する軍需産業とそれにつながる国防族議員・官僚は笑いが止まらないだろう。
辺野古新基地建設に関しても、それは言える。米軍普天間基地返還「合意」から4月12日で17年を迎えた。かつて稲嶺恵一知事の時代、高良倉吉琉大教授(当時)らが「沖縄イニシアチブ」を唱え、稲嶺知事のブレーンとなって普天間基地の辺野古「移設」を推進したことがあった。しかし、それも過去の話だ。副知事になった高良氏も今では、時局便乗主義者らしく「県外移設」を口にしている。
それにしても17年は余りにも長すぎる。この間、普天間基地の返還がうまくいかなかったのは、沖縄県内への「移設」を前提とし、県民に新たな犠牲と負担を強要するものだったからだ。そのことに一片の反省もなく、日米両政府は仲井真知事や自民党県連を切り崩し、辺野古「移設」を強引に進めようとしている。その口実として「朝鮮半島の危機」がくり返し利用されている。
昨年の4月16日、石原慎太郎東京都知事(当時)が米国で開かれたシンポジウムで、尖閣諸島を東京都が購入する方針を明らかにし、大きなニュースとなった。その後、当時の野田政権が尖閣諸島を国有化したことにより中国の猛反発を呼び、日中間の「領土問題」に火がついた。本来なら、日中国交正常化40年を祝う年だったのを、石原氏は意図的に日中の対立を煽り、南西諸島の防衛強化を進めようとする政府・防衛省に格好の材料を与えた。
最近は尖閣諸島問題が膠着状態になっているか、と思ったらまたぞろ朝鮮の「脅威」「危機」である。その火つけ役となっているのは誰なのか。東アジアに「脅威」「危機」を作り出したいのは誰なのか。その「脅威」「危機」を利用して利益を得ようとするのは誰なのか。そういう視点を常に持っておく必要がある。「基地の島」に生きる者には、とりわけその視点が必要だ。心理戦・情報戦として煽られる「脅威」や「危機」に踊らされ、軍事強化のお先棒を担がされて自らの首を絞めないためにも。
4月12日付琉球新報に〈ルポ・北朝鮮/“戦時”の緊張感薄く/市民生活変わらず/「戦争したいのは米国」〉という見出しの記事が載っている。共同通信の配信によるものだ。
〈【平壌共同=桜井幸彦】新型ミサイル発射の構えをちらつかせ、日米韓との対決色を強める北朝鮮の首都平壌に11日入った。市民は普段通りに勤務し、子どもたちはじゃれ合いながら通りを走り回っていた。好戦的な政治標語は目立たず、北朝鮮が発し続ける挑発的言辞とはかけ離れた雰囲気。戦時の「緊張感」は希薄だ〉
桜井記者のルポは、欧米から観光に訪れている旅行者の様子や、祝賀行事の方が目立つ平壌市内の様子を伝えている。制限された取材範囲ではあっても、このような現地ルポは核やミサイルの「脅威」「危機」を強調する報道を相対化する視点を与えてくれる。次のロイターの記事もそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130410-00000111-reut-kr
食糧確保のために5月から田植えをしなければいけない軍隊が、米国や日本を標的にミサイルを発射して戦争をやれるだろうか。実際に攻撃をしかければ体制崩壊は必至であり、わざわざ自滅行為に突き進むほど金正恩朝鮮労働党第1書記も愚かではない。仮に発射されても公海に落下することを前提にしたものであり、実際には脅威とならないことを日米両政府は知っている。それが証拠に、昨年12月の人工衛星打ち上げほどの騒ぎにすら沖縄ではなっていない。
米日朝韓の軍部や政府権力者の「挑発的言辞」によるチキンレースに振り回されることなく、辺野古新基地建設、高江ヘリパッド建設をはじめとした沖縄基地の強化に反対していきましょう。不安を煽られて冷静な判断を失い、軍備で我が身を守れるという幻想にかられたら、彼らの思うつぼです。沖縄戦でこの島はどうなったか。あらためて学び直し、戦争体験者の話に耳を傾けましょう。