14日(火)はカヌー5艇と抗議船1隻(平和丸)で海上行動を行った。
午前8時頃、カヌーで松田ぬ浜を出発した。途中で平和丸に乗り込み、長島の間を抜けて大浦湾に出た。
ガット船が間近に迫っていて、すぐに海保のゴムボートが抗議船を制止しようと圧力をかけてきたので、カヌーに移って抗議活動を行った。
この日はガット船3隻(第五十一進宏丸、第百三十六伊勢丸、第七太海丸)が大浦湾に入った。
第百三十六伊勢丸は昨日、本部港塩川地区で土砂を積んでいた。抗議行動によって半分ほどしか積み込めなかったが、そのあと安和の琉球セメント桟橋で追加を積み込んだのだろう。
大浦湾に土砂を運ぶガット船は、前日の夜に塩川沖を出発し、当日の午前6時頃には辺野古沖で待機している。
海上抗議行動への対策として大浦湾にはオイルフェンスやフロートが張られていて、工事関係の船が出入りするには、作業船でいちいち航路のオイルフェンスを開かねばならない。
その作業をする船員が出勤し、海に作業船を出してオイルフェンスを開くには時間がかかる。そのため、ガット船は沖で2時間以上待ち、8時半頃にしか大浦湾に入れない。
もし海上抗議行動がなく、オイルフェンスが張られていなかったら、ガット船は明るくなりしだい大浦湾に入り、安和や塩川のように午前7時頃から作業を開始するかもしれない。
大浦湾にオイルフェンスやフロートを張らせ、船の出入りを制限するだけでも、作業の進行を遅らせている。
これから軟弱地盤の改良工事が始まり、多数の工事船が大浦湾を出入りするとき、航路付近で行われる海上抗議行動の意味は今以上に大きくなるはずだ。
海保に拘束されてゴムボートに乗せられ、松田ぬ浜に移動している途中、辺野古漁港から沖に出る航路で米海兵隊が潜水訓練を行っていた。
民間の船が出入りする航路を横断し、ふさぐ形で訓練を行うのは余りにもでたらめで、事故が起こる危険性が高い。
これまでも米軍は航路付近で我が物顔で訓練をしていた。
それに対し海保は規制も注意もできない。米軍の好き勝手を許している軍事植民地の状況だ。
海保から解放されたあと、カヌーで航路に行き、米海兵隊のゴムボートや潜水訓練をしている兵士の周辺を漕ぎ抗議した。
もちろん、安全な距離を保っての抗議行動で、カヌー数艇が周辺にいるだけで、米軍は思うように動けず航路内での訓練ができなくなった。
そのうち潜水訓練をしていた兵士が海から上がり、水中スクーターをゴムボートに引き上げてキャンプ・シュワブの浜に戻るグループも出た。
約50分ほどカヌーで抗議し、米軍の訓練が止まったのを確認してから、平和丸に乗って辺野古崎に向かった。
この後も午前中は米軍の訓練は行われなかった。
辺野古崎ではK7護岸の先端からK6護岸の残りの部分の捨て石投下が行われている。
大潮の干潮時には海底の岩が露出する場所なので、わずかな捨て石投下で護岸が伸びていく。
二重に張られた大型オイルフェンスをカヌーで越え、抗議行動を行ったが海保に拘束された。
午前中で海上行動を終了し、片づけと草刈をしたあと、午後1時6分頃に豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。
ダンプトラックで赤土混じりの土砂が運ばれ、仮置き作業が続けれていて、中央部には山盛りになった場所もある。
午後1時26分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。
K9護岸にはランプウェイ台船が2隻接岸し、土砂の陸揚げを行っていた。
この時間帯には、N2・K8護岸での陸揚げはなかった。
ガット船3隻が土砂の積み替えを終え、沖に出ていくところだった。
瀬嵩の浜には緑のクレーン付き台船が出て、作業を行っていた。
以前もこの場所に来て、汚濁防止膜の点検作業を行っていたので、それかもしれない。
背後に見える海上ヤードでは、ランプウェイ台船上に石材はなく、投下作業も行われていなかった。
10日午後9時半の段階で、第65天神丸が辺野古沖に来ているので、明日の午前中に石材の積み替えが行われるだろう。