25・26日と早朝から本部町八重岳に行き、自衛隊の電子戦訓練に対する阻止行動に参加した。
25日(木)は泊まり込みの市民を含め、早朝から30人余の市民が集まり、山頂近くで阻止線を張った。この日は自衛隊は姿を見せず、警戒を緩めず翌日に備えた。
26日(金)は間違いなく自衛隊がやってくる、ということで、山頂近くで横断幕を張り、阻止するために待ち構えた。
午前10時半頃、八重岳のふもとから自衛隊車両が上ってくるという連絡が入った。
自衛隊の車列は警戒しているのか途中で停車し、待機状態が続いた。
その後、午前11時55分頃に自衛隊車両がいる場所に全体で移動し、八重岳が沖縄戦の戦場であり、多くの住民が犠牲になった場所であることを自衛隊員に話し、この地で軍事訓練行わないように説得、抗議活動を行った。
午後12時28分頃、沖縄県警がやってきた。
県警と自衛隊は何度も打ち合わせを重ね、午後1時58分頃、機動隊が市民の強制排除を開始した。
市民が排除されたあと、自衛隊の現場指揮官が乗ったジープを先頭に、資材やレーダーを積んだ大型車両など計4台が山頂に向かって移動を始めた。
ところが、沿道に植えられた桜の枝が大型車両に引っかかり、折れてしまった。市民が大声で抗議し、カメラを回すなか、自衛隊車両は枝をよけながら慎重な運転をせざるを得なくなった。
それでも、道路上に張り出した枝が大型車両の進行の邪魔をする。強引に進もうとすれば枝が折れるので、立ち往生に近い状態となった。
山頂に近いカーブには、さらに低く枝を張った大きな桜が何本もある。現場の指揮官が様子を見に行き、大型車両の通行は無理を判断したらしく、途中でUターンを始めた。
ところが、狭い山道で沿道の桜を折らないように方向転換するのは容易ではない。何度も切り返しを行い、30分ほどかかってやっと引き返すことができた。
だが、帰りも同じように桜の枝をよけながら慎重に進まざるを得ない。あたりはしだいに暗くなっていく。
結局、最後まで市民の抗議を受け、桜の枝に苦労しながら、自衛隊は午後7時6分頃、現場を撤退した。
市民の抗議行動がなければ、自衛隊は桜の枝を折りながら山頂まで上がり、電子戦の訓練を行っていただろう。
しかし、市民が阻止線を張り、座り込みを排除されても桜の枝が折れるのを抗議し、撮影を続けて全国に発信することで、自衛隊は思うように行動できなくなった。
市民の行動があったからこそ、桜の力も借りて、この日の自衛隊の訓練を完全に阻止することができた。
大型車両が通行できないことを、自衛隊は自ら引き返したことで示した。明日以降、山頂に上がることはできないはずだ。
八重岳の桜は本部町民が大事にしてきた財産であり、全国で一番早く1月には桜祭りが開かれる。その枝を折って訓練を強行すれば、住民の反発と怒りは高まる。
私にとって八重岳は、三中の鉄血勤皇隊員だった父が、銃を手にして戦った場所である。多くの学生、住民、兵隊たちが命を落とした場所で、自衛隊が好き勝手に軍事演習を行うことは許せない。
沖縄を日本「本土」防衛の盾にするな。自衛隊を「防人」と呼んで美化するのは、沖縄にとって自殺行為である。