3月に入った。1日(月)は海が荒れ、カヌーによる行動は中止となったので、キャンプ・シュワブゲート前に行き、1回目の資材搬入に抗議した。
新型コロナウイルスに対する沖縄県独自の緊急事態宣言は昨日で終了した。1月19日に宣言が発せられて以来、市民有志によって続けられてきた座り込みは今日まで。明日からはオール沖縄会議による取り組みが再開される。
感染が拡大するなかでも、有志の努力によって、ゲート前や安和、塩川で抗議行動が途切れることはなかった。その意義は大きい。
この日もミキサー車のほかに、生コンプラントの材料となる砂やバラス、路盤整備に使うらしい再生材、残土搬出用の空トラックなどが入っていった。
海は荒れていたが、ゲート前は暑いくらいの日差しだった。明日以降、感染症対策をしっかりやって、多くの市民にゲート前や各所での抗議行動に参加してほしい。
午前11時過ぎ、1回目の資材搬入でゲートから入った白い圧送ボンプ車が、辺野古弾薬庫の工事現場で生コンの打設を行っていた。
第2ゲート近くの歩道からは、弾薬庫内を通るミキサー車も見えた。
午前11時頃から11時半頃にかけて、辺野古弾薬側の第2ゲート付近から、森の中に入って作業している男女2人がいた。何かを調べているようにも見えたが、現場は美謝川の切り替え工事が行われる所だ。工事関係者か沖縄防衛局員、環境調査員のいずれかだが、服装から見て防衛局員だろう。この付近での動きにはよく注意しておきたい。
午前10時7分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸付近にランプウェイ台船が停泊していたが、土砂の陸揚げは行われていなかった。K9護岸から土砂を運んでくるダンプカーもなかった。
K3護岸の嵩上げはほぼ終わったようだ。L字型の壁はすべて繋がり、1か所で足場を組んで点検をしているようだった。排水施設などを作るために空けてある部分を除き、K1護岸からK4護岸までの嵩上げ工事は、あとは消波ブロックの設置を残すのみとなったようだ。
3・11東日本大震災から10年になろうとしているが、新基地の護岸が海面から8メートルの高さに嵩上げされたのは、3・11の津波被害を受けてのことだったと記憶している。辺野古の海に造られている壁を見ながら、東北の海岸に造られている防潮堤のことをよく考える。
被災地の防潮堤にも利権や景観の問題がある。しかし、それはまだしも人の命を守るものだ。辺野古の海に造られた壁は、誰の命も守りはしない。新たな軍事基地がもたらすのは破壊と殺戮だ。
K4護岸の排水施設が造られる付近に、作業員が集まっていた。K4護岸の内側には排水管が置かれ、その前に積まれているのは、大型クレーンの仮設道路に使用していた鉄板のようだ。K4護岸では消波ブロックの設置が終わり、撤去されたのだろう。
午前11時50分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。K9・k8護岸ともにランプウェイ台船が1隻接岸していたが、土砂の陸揚げは行われていなかった。海が荒れているせいだと思うが、作業和船は海に出ていた。駿河が漂流、座礁した事故も影響しているのか、以前よりも慎重になっているように見える。
ガット船は7隻(第百二十八旭丸、第八藤進、第八そうほう丸、美鍛丸、聖嘉、進朋、國喜18)が停泊していたが、台船への土砂の積み替えなどの作業は行っていなかった。
デッキバージも動きはなかった。
午後12時28分頃、ジンガムイ付近から安和の琉球セメント新桟橋を見ると、ガット船・清明が土砂の積み込みを行っていた。