25日(木)は強風で海が時化、海上行動が中止となったので、キャンプ・シュワブのゲート前に行き、1回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。市民有志10数名が座り込んでいて、排除しようとする機動隊との接触を避けながら、できる限りの抵抗を続けていた。
沖縄県独自の緊急事態宣言が今月いっぱいで終わりそうなので、オール沖縄会議は3月2日からゲート前での抗議行動を再開すると表明している。
私たちは想像し、考えないといけない。市民有志の自主的な抗議行動が取り組まれず、ゲート前で座り込む人が誰もいなかったらどうだっただろうか。厳しい条件下で、市民一人ひとりが主体的に行動したことの意義は大きい。
1回目は生コンのミキサー車を中心に、砂利や砂を積んだダンプカーなどが80台余入ったが、団粒化剤を散布する車両も入っていった。
工事車両が断続的に入っていく間、歩道やゲート前での抗議が続けられた。
午前10時19分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸にはランプウェイ台船が接岸していたが、土砂の陸揚げは行われていなかった。
にもかかわらず、N5護岸近くでは土砂の投入が行われていた。②工区の複数個所で、ショベルカーが埋め立てた場所を掘削し、ダンプカーに土砂を積み込んでいた。そこから運ばれた土砂かもしれないが、確定はできなかった。
K4護岸近くの排水管を設置した近くでは、砕石を運んでショベルカーで敷く作業が行われていた。ほかにK3護岸では嵩上げ工事が続けられ、消波ブロックの設置も行われていた。
午前11時6分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。K9護岸にはランプウェイ台船が1隻接岸していたが、ランプウェイは上げられていて、土砂を積み込むダンプカーの動きはなかった。
K8護岸でも接岸している台船の土砂にはブルーシートがかぶせられ、陸揚げ作業は行われていなかった。
ガット船は4隻(marumasa2号、鶴美丸、清明、栄雄丸)が停泊していたが、土砂積み替えなどの作業は行われていなかった。大浦湾は白波がたち、時化ていた。そのせいで海上での作業は中止となったようだった。
午前11時38分頃、名護岳付近から安和の琉球セメント新桟橋の様子を見ると、ガット船・美鍛丸が接岸し、土砂の積み込みを行っていた。
瀬嵩の森ではケラマツツジが見頃となっている。大浦湾に面した辺野古弾薬庫下の崖でも咲いていることだろう。目を凝らすと森の所々に赤い花が見える。