21日(月)は午前10時から午後7時20分頃まで、名護市議会を傍聴した。昼休みには野党議員を激励する集会が市役所の中庭で開かれた。議会では、辺野古新基地建設に関わり渡具知武豊市長が提案した〈公有水面埋立変更に対する意見〉をめぐり、長時間の質疑が交わされたが、最終的には賛成少数で否決された。
本来ならメディアも注目するなか、市長にとって公に「意見」を述べるのは、自らの考えを名護市民はもとより全県、全国に発信するまたとない機会である。しかし、それを生かそうという姿勢は渡具知市長に微塵もなかった。自分の本音を語れない国の操り人形の哀れな姿がそこにある。
沖縄県から諮問されているのは、辺野古地区地先の埋め立て地の「用途変更」のみ、と法令を盾に渡具知市長が市民意見の聴取から逃げ回ったのは、名護市民の中に辺野古新基地建設に反対する根強い意見があることを知っているからだ。実際、沖縄県知事に出された579件の名護市民の意見は、すべて新基地建設に反対するものであった。そうであるが故に、渡具知市長は市民の意見から逃げ回ることしかできなかった。市民の意見も聞けない市長の姿は惨めである。
これから大事なのは、このような「三行意見」しか提案できなかった渡具知市長の実態を広く市民に伝えることだ。議会の中のやり取りだけで終わらせてはならない。少数与党で「意見」が否決されるのは渡具知市長も想定内のことであり、野党が否決したから「意見」が示せなかった、と問題をすり替えていくだろう。辺野古区民から意見を聞いていなかったことを含め、渡具知市長の市民軽視の問題を、街宣活動を通して市民に伝えていく必要がある。
午前中の傍聴を終えて、昼休みに弁当を買いに行ったときに、市役所内のマンホールのふたを見て、今年は名護市制50周年だったな、とあらためて思った。名護市役所の守り神だったシーサーも、経年劣化で撤去されてしまった。辺野古新基地建設をめぐって市民が対立していることに、何かもの悲しさを覚える。
もうすぐクリスマスだが、子どもの頃、家族みんなで名護十字路の店に行き、クリスマスプレゼントを買ってもらったことを思い出す。もう50数年前のことだ。今帰仁だけでなくヤンバルの住民に、名護は一番近い賑やかな町だった。ヤンバルの中心地として、名護の問題はヤンバルの住民にとって他人事ではすまされない。
辺野古新基地が完成し、ヤンバルに米海兵隊基地が集中すればどうなるか。それで名護市が良くなり、ヤンバルが発展すると渡具知市長は思っているのか。今からでも遅くない。何が名護市、ヤンバルにとって最良の選択なのか。渡具知市長はよく考えてほしい。