12月14日(土)は辺野古の海・②-1工区に赤土土砂が投入されてから1年の節目だった。3日に安和の琉球セメント桟橋で抗議集会を開いたのに続き、14日は辺野古の海にカヌー31艇と抗議船6隻、メディア船2隻を出して、土砂投入を強行し続ける安倍政権を糾弾した。
抗議船やメディア船がそろうのを待って、午前9時50分頃にカヌー31艇が松田ぬ浜を出発した。まずは1列になってK3護岸とK4護岸が接する角まで、海上パレードを行った。
K4護岸沿いを北風に向かって辺野古崎まで漕いだ。1年前、辺野古崎から海に伸びるN3護岸の上から始めて土砂が投入された。この日も朝から近くのK8護岸から土砂が陸揚げされ、②工区に運ばれていた。
午前10時28分頃、カヌーチームが辺野古崎に着くと、K8護岸に接岸していたランプウェイ台船からバックホーが下り、集会の間は土砂の陸揚げが止まった。
辺野古崎まで着くと、オイルフェンスにバナーを張り付けてプラカードや横断幕を掲げ、海上抗議集会を開いた。主催者のヘリ基地反対協議会のあいさつのあと、赤嶺政賢衆議院議員、カヌーメンバー4人がマイクを手に発言した。どの発言も、土砂投入によって海が破壊されている現実への怒りと危機感、工事を止めたい、という熱気があふれていた。
土砂投入1年ということで、メディアの取材も多かった。海上での集会と並行してゲート前でも集会が開かれ、急な取り組みだったにもかかわらず100名ほどの人が集まったとのこと。ティダの会のメンバーも横断幕を用意し、島袋文子さんをはじめ辺野古の皆さんとともに参加した。
海でもゲート前でも、現場で意思表示するのは簡単ではない。自分の時間と金を使って現場まで行き、集会を開くにも何日もかけて多くの準備をしないといけない。今日の取り組みも裏方となって働いた多くの人の努力で実現した。深く感謝したい。
集会終了後、K8護岸の前まで移動して、カヌーでオイルフェンスを越え、土砂を陸揚げしている近くまで行って抗議の声を上げた。
新たに接岸したランプウェイ台船から、②工区に土砂が運ばれていく。イージス・アショアの秋田県への配備について、地元の反対を理由に政府が見直す方針であることが報じられている。
秋田と沖縄のこの違いは何なのか。どれだけ反対の民意を示しても、沖縄は簡単に踏みにじる。沖縄差別、という怒りが湧き上がるのも当たり前だ。日本全体の利益のために沖縄は犠牲にしてもかまわない。この構造に泣き寝入りし、国のやることには勝てない、と諦めたらおしまいだ。
その先に、沖縄はどういう将来を迎えるか。ヤンバルはどういう状態となるのか。次の世代にどういう沖縄、ヤンバルを残すのか。今を生きる私たちは次の世代から問われている。