8日(金)は朝から雨模様で、天気が不安定なため海上での抗議行動は中止となったので、ゲート前に行って1回目の資材搬入に抗議する座り込みに参加した。各地域の島ぐるみ会議の皆さんがやってくるのは2回目以降なので、1回目は参加者が少ない。機動隊に短時間で排除されてしまったが、小雨が降るなか抵抗をつづけた。
午前9時までに現場に来られる人はぜひ1回目の座り込みにも参加してほしい。
N4護岸の建設や②工区の防砂シート設置に使用する石材がダンプカーで運び込まれたが、相変わらず過積載が目立つ。この日は通信ケーブルの配管らしい物も搬入された。これはそのあと国道下のトンネルで行われている工事現場に運ばれていた。
県民投票で騒ぎ立てる一方で、辺野古の工事や抗議の現場にどれだけ目を向けているか。ゲート前や海上で毎日抗議を続けてきた人たちがいたから、いま県民投票を行うこともできるのだ。そういう現場での闘いがなかったら、工事はどんどん進んでいて、県民の意識も変わっていただろう。
高江でも辺野古でも、あるいは普天間や嘉手納、宮古、八重山、与那国、奄美でも、路傍の花のような行為を積み重ねている人たちがいる。目立たなくても、それこそが大切であり、貴いのだ。
1回目の資材搬入が終わったあと、豊原の高台に行き辺野古側の埋立作業の様子を見た。手前側の②工区では、防砂シートの設置作業が継続して行われている。この日は午前11時頃の段階で、防砂シートの上に根固め用袋材を置く作業が行われていた、
辺野古岬近くの②-1工区では、K9護岸から運んできた土砂をダンプカーが下ろし、ブルドーザーで広げる作業が行われていた。海岸近くの浅場から埋め立てることで面積の拡大を優先している。しかし、護岸の高さまで土砂を積み上げるにはかなりの時間がかかる。マスコミがヘリやドローンで撮影することを想定し、実際よりも埋め立てが進んでいることを印象付けようという意図が透けて見える。
午後12時頃に瀬嵩の海岸に移動し、大浦湾の様子を見た。K9護岸ではランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げ作業がいつも通り行われていた。土砂はまだかなりの量が積まれていたので、この日の朝に接岸したと思われる。
大浦湾には4隻のガット船(土砂運搬船)が停泊していた。写真の上から順に、marumasa3号はランプウェイ台船に土砂の積み替えを行っていた。第百三十六伊勢丸と第十八福昌丸は喫水線の高さから見て土砂の積み替えを終え空になっていた。同じく喫水線から見て第八藤進はまだ土砂を積んだままだった。
この日は安和の琉球セメントの桟橋では、石炭の積み下ろし作業が行われていて、土砂の積み込みは行われていなかったとのこと。ただ、第八藤進の分も含めて、大浦湾にはあと2日分の土砂の余裕がある。この余裕がなくなる状態に持っていってはじめて、②-1工区への埋め立て土砂投入ができなくなる。
海上搬送は一度に大量の土砂を運べる一方で、気象条件の影響を陸上以上に受ける。安和の桟橋で陸と海の抗議を連続して行えば、工事を遅らせることは十分に可能だ。その成否はどれだけの人が現場で行動するかにかかっている。
辺野古岬のN4護岸では被覆ブロックの設置作業が行われているようだった。現在、沖縄防衛局が一番困っているのは、埋め立て土砂を陸揚げする場所がK9護岸一つしかないことだ。辺野古岬から遠い場所にあるK9護岸から②-1工区までダンプカー15台で土砂を運んでいるが、それでは1日にランプウェイ台船1隻程度の土砂しか陸揚げ=投入できない。
そのために辺野古岬にN4護岸から続くK8護岸を建設し、新たな桟橋として利用しようとしている。それが完成すれば埋め立て現場にも近く、作業速度が倍増する。そういう狙いが明らかなのだから、それを阻止しないで辺野古の環境保全をいくら唱えても虚しいだけなのだ。
午後4時半から嘉手納町の沖縄防衛局に行き、新しく着任した田中利則局長と海上行動のメンバーで交渉を行った。赤嶺政賢衆議院議員が参加してくれたおかげで局長との交渉が実現できた。
この日の交渉では、民間警備会社によるブラックリスト作りとフロート開口部の使用について申し入れを行った。このあと夜は会議もあり、忙しい1日だった。