日本政府と沖縄の自民党・公明党の策謀によって、県民投票が混乱を極めている。米軍基地所在の3市(宜野湾市・沖縄市・うるま市)の首長と議会、自衛隊配備を進めている2市(宮古島市・石垣市)の首長と議会が県民投票の事務を拒否し、玉城県政に揺さぶりをかけることによって、新基地建設を容認する自分たちに有利な3択案に持ち込もうとしている。
5市の首長に共通しているのは、安倍政権を支持する「チーム沖縄」に所属し、米軍基地や自衛隊基地をめぐって政府と協力することで、財政的な見返りが得られることだ。宮崎政久衆議院議員が、県民投票に反対する資料を作ったことが問題となっているが、これまで県知事選挙や各自治体選挙に自民党・公明党中央が介入してきた実態を見れば、国会議員を媒介に日本政府と5市の議員・首長との間に意思の疎通があったと見るのは普通なことだ。
1月19・20日付琉球新報の記事に載っていた公明党提案の「容認・やむを得ない・反対」という3択案は呆れ果てるものだ。新基地建設に「賛成」という積極的意思を示す県民は少数だ。それを見越して「容認」と票を入れやすい形にし、さらに「やむを得ない」を加えて実質的な賛成を2択に増やす。反対は1択に対し、実質的賛成は2択という、あからさまに恣意的な内容だ。
公明党会派・県本が県議会議長や玉城知事に対し、こういう3択案を示すことを見れば、沖縄の自公と日本政府が何を狙っているかは明らかだ。賛成か反対かという2択では勝てないと判断し、県民投票で勝つための選択肢を通すことが目的であり、それができなかった場合は県民投票を失敗させる。そのうえで、5億5千万円もの予算を使いながら県民投票は失敗した、ということで玉城知事を追及し、ダメージを与える。それを国政選挙に利用して、次の県知事選挙につなげる。そういう思惑が透けて見える。
問題はそういう思惑に基づいて、市民の投票権を奪っている5市の首長と議員の側にある。彼らに揺さぶられてうろたえ、策謀に乗せられて3択案に条例を改正すればどうなるか。批判されるべき5市の首長、議員の方が正しかったことになり、すでに2択で予算を可決し、事務作業を進めている大多数の市町村の議論や判断は否定され、やり直しを迫られることになる。
県の条例に従って正しく判断した市町村がやり直しを迫られる。そんなことがあっていいのか。2択だからこそ賛成した議員、首長もいるはずだ。5市のことばかりがテレビや新聞で報道されているが、県内の大多数の市町村の首長、議員、市町村民は2択でいいと判断したのだ。その大多数の意思は否定されていいのか。
今の県内マスコミの報道姿勢は、2択で賛成し、準備を進めている大多数の市町村のことは無視し、5市にばかり焦点を当てている。そもそも2択で県民投票の運動を進めてきたのは誰だったのか。2択だからということで署名した人も多いはずだ。自分が投票できなくなったからということで急に、選択肢を増やせ、と言うのはおかしくないのか。全県実施を強調することで、2択に意義を見出している人たちの意思や意見はないがしろにされていいのか。
県民投票に関しては、その意義を認めつつも、現在の政治状況下で行うことの危険性を指摘する人も多かった。保守系の首長がボイコットする危険性も指摘されていた。それを無視して運動を進めてきたのは誰なのか。若者を前面に押し出すことで反対の声を出しにくくし、多くの署名を集めて議会を通せば、反対の人もやらざるを得なくなる、そういう考えはなかったのか。
自らの判断の甘さや情勢分析能力のなさを反省しないで、場当たり的に対処するだけなら、混乱は拡大し、辺野古新基地建設に反対する運動に致命的打撃を与えかねない。日程が詰まり、時間がない中で、十分な分析、検討もなく、3択案にして自民党・公明党・日本政府の策謀に乗せられるなら、とんでもないことになる。
全国のニュースでは、県民投票に参加しない5市のことが中心に報道されている。それによってすでに、沖縄県民は辺野古新基地反対でまとまっているのではない、というイメージが全国に広げられている。日本政府はほくそ笑んで、沖縄内部の混乱を眺めているだろう。
本来なら、昨年12月に辺野古岬近くの工区に土砂投入が強行され、それに対する抗議行動が集中的に取り組まれなければならないのに、そのための人力が県民投票に割かれることになる。マスコミが県民投票ばかり報道しているうちに、現場への関心は薄くなり、埋め立てが進んでいくのだ。
日本政府や自公からすれば、県内全体で勝つことはできなくても、宜野湾市と名護市で勝てばいいのだ。それだけでも全国に大きな宣伝になり、新基地建設の推進力として利用できる。公職選挙法が適用されない県民投票は、戸別訪問や供応も許される。政府が裏で金を流して宜野湾市と名護市で本格的に運動すれば、どういう結果になるか。その怖さを自覚しないといけない。そうさせないために、ただでさえ時間と体力を費やしているカヌーメンバーやゲート前のメンバーも、多くの労力を割くことになる。それがどれだけ過酷なことか。
玉城知事は自らが揺らいでしまえば、県民にどういう印象を与え、今後何をもたらすか考えないといけない。時間的に追い詰められ、混乱の中で短絡的に判断しては、将来にわたって大きな禍根を残しかねない。県民投票はただ全県でやればいいというものではないはずだ。玉城知事を支持してきた、と思っている人たちが、県民投票を自己目的化して逆に玉城知事を追い詰めることをしていないか。そう内省する冷静さが欲しい。
名護市を中心とした沖縄島北部・ヤンバルの人口は沖縄全体の十数分の一だ。「やむを得ない」という選択肢を加えて、辺野古新基地建設を沖縄県民が容認した、という結果になったら、だれがどう責任を取るのか。県民投票を進めてきた人たちは、県民が選択したことだから仕方がない、と言ってすませるのか。
沖縄県民の意思と言いながら、実際に辺野古新基地の負担と犠牲を多大に強いられるのは、辺野古区民であり名護市民、ヤンバル住民だ。沖縄県民が自ら辺野古新基地を受け入れた。そういう構図を作り上げるために、政府はあらゆる手を使ってくる。県民投票は諸刃の剣であり、いっさいの楽観論を捨てて、安倍政権が何を狙っているかを見極めなければならない。