17日(金)はカヌー48艇、抗議船5隻、ゴムボート1隻で〈土砂投入を許さない!8・17辺野古海上大行動〉を行った。前日まで雨が降り、海が時化ていたので、実現できるか不安があったが、朝から青空が広がってくれた。
午前8時50分頃、松田ぬ浜を出発して、K3護岸からK4護岸につづく角の所まで、ぶるーの船とカヌーで海上パレードを行った。沖に行くにつれ波とうねりが高くなったが、K4護岸沿いに辺野古岬近くまで全員が漕ぎ進んだ。
この日は日本政府・沖縄防衛局が、埋め立て土砂の投入を打ち出していた。しかし、台風による工事の遅れを理由に、日本政府は土砂投入の強行を見送った。各護岸や沿岸の作業ヤードに作業員の姿は見えず、海保やアルソック、バスでやってきた軍警備員などが護岸に並んでいた。
K4護岸の上は、埋め立て土砂の投入がなされようとしたN5護岸からN3護岸の間に、根固め用袋材が二段重ねで置かれている。高波対策のようだが、軍警備員の身長と比較すると、海面からの高さは、袋材を入れても4メートルほどだ。台風と満潮が重なれば、簡単に波が越すだろう。
キャンプ・シュワブの陸上にある鉄塔が、天辺付近まで足場で囲まれている。高さ制限に引っかかるのは明らかだが、この段階で解体に入るのか、ただの修理なのか、やけに目立つので関心を呼んでいる。
埋め立て予定工区を前にした海上で、9時40分頃から10時25分頃まで集会を開いた。最初に8日に急逝した翁長雄志知事の死を悼んで黙祷を行った。そのあと、シュプレヒコールや参加者の発言、「We Shall overcome」「沖縄を返せ」の合唱などが続いた。
船上やカヌーからプラカードやのぼり、横断幕を掲げて、埋め立て土砂の投入を許さない決意を示した。日本政府の土砂投入先送りは、翁長知事の死を悼む県民の反発を恐れ、県知事選挙まで様子見をする欺瞞的なものでしかない。
護岸で閉めきられた海は、中の生き物が死に向かっている。政府は即座に工事を中止し、原状回復措置をとってK4護岸を開け、潮の流れを入れるべきだ。県当局も翁長知事の意志を貫いて、埋め立て承認の撤回に踏み切ると同時に、K4護岸を早急に開けるよう要求すべきだ。
午後1時半から松田ぬ浜で、ヘリ基地反対協議会とオール沖縄会議共催の集会が開かれた。午前中、海に出たカヌーを囲む形で、主催者発表で450人が参加した。
最初に海に向かって、土砂投入を許さない、というシュプレヒコールを行った。ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表やオール沖縄現地闘争部の山城博治さんが発言したほか、9月9日に行なわれる名護市議会議員選挙の立候補予定者の紹介・発言もあった。
海上行動のメンバーも代表で発言した。最後に頑張ろう三唱を行ない、この日の行動を終えた。
日本政府の思惑通りに進んでいれば、この日は土砂投入が強行されて、浜の集会も重い雰囲気のなかで行われたかもしれない。それを吹き飛ばしたのは、翁長知事の死と台風に加えて、辺野古の海とゲート前、そして全国及び世界各地で、辺野古新基地建設反対の行動を取り組んできた人々の力だ。
沖縄が置かれている状況は依然として厳しい。それを打破して、辺野古新基地建設を阻止するには、今の何倍もの力が必要だ。やらなければならないことが多すぎて大変だが、膝を屈するわけにはいかない。
この日は旧暦の七夕で、集会のあとは今帰仁に帰って墓掃除をした。沖縄では旧盆前の七夕に墓掃除を行なう。父方と母方の2カ所の墓を掃除するのだが、夏場は草が茂って時間がかかる。その後、さらに実家の庭の草刈りや植木の剪定で午後10時前まで作業に追われ、疲れ果てた。
少し前まで実家の庭に咲いていたカトレアの花。なんの手入れもしていないのに、こうやって人の目を楽しませてくれるのだから有り難いことだ。