28日は朝、瀬嵩の浜からカヌー8艇で出発し、辺野古弾薬庫下の海域に向かった。遅れて4艇が加わり、計12艇で監視・抗議活動を行った。二重に張られたフロートの一つ目を超えると、北の風でフロートが浜に寄っているので、石材が積まれている場所までは50メートルもない。ただフロートの内と外には海保のゴムボートが十数台で警備体制を敷いている。
大潮の満潮のため午前9時頃は、前日までに積まれた布団かご(栗石を詰めた袋)まで波が寄せていた。午前11時頃になると潮がひいたが、向かって左側の列は波を考慮してか、ひときわ大きな袋が置かれ、高さも人の背丈を越えていた。
今日は65年前の1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立すると同時に沖縄が切り捨てられた日だ。また、1年前に元海兵隊員の米軍属に名護市出身の女性が暴行を受け、殺害された事件が起こった日でもある。
政府・沖縄防衛局は今日くらいは作業を休み、喪に服すべきだった。しかし、いつもと変わらず、平然と作業を行っている。どこまで愚劣なのだろうか。1年前、被害にあった女性がどれだけの恐怖と痛みを味わったか。沖縄に米軍基地を強要する者たち、それに手を貸すものたちは想像してみるがいい。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/95237
日本の平和と安全のために沖縄が犠牲になるのはやむを得ない。それが日本人の多数意思だ。そうやって沖縄に米軍基地を押しつけ、新たな犠牲者を生み出し続けている。小浜に積み重ねられる石材は、沖縄の声など押し潰せ、という安倍政権の意思表示であり、それを容認する日本人の醜さを表している。
黄色と白のクレーンが付いた台船で、いったん回収してあったスパッド台船が組み立てられ、移動していった。海底ボーリング調査を再開するようだが、ほかにもクレーン付き台船2隻とスパッド台船2隻が、工事再開後ボーリング調査を行ってきた。基本的な調査も終わらずに、どうして埋め立てが進められるのか。
政府・沖縄防衛局は、海底の問題が明らかになって設計変更をやらざるを得なくなる前に、とにかく「後戻りができない状況」を作り出したいのだろう。だが、沖縄県民があきらめない限り、後戻りなどいつになってもできる。
もちろん、工事をこれ以上進めさせないことだってできる。女性の死を悼むなら、辺野古のゲート前で座り込み、新基地建設を阻止するだけでなく、沖縄の全基地撤去を目指して行動しましょう。
かなり潮がひいた瀬嵩の浜で昼食と休憩をとり、午後1時過ぎに小浜の方に戻った。この日は前日に続いて風が強く、午前の途中からカヌーチームは船に乗って監視活動にあたった。
午後も浜に布団かごを置く作業が進めらた。時おり測量も行っていたが、午後4時20分頃に作業現場を囲っていた黄色いフロートをクレーンで片づけ、浜の作業を終えた。
この日は汚濁防止膜を運んできた2隻のバージ船のうち1隻が、タグボートに曳航されて大浦湾を出ていった。明日からゴールデンウィークに入るが、29日はキャンプ・シュワーブのゲート前で1年前に犠牲になった女性の追悼集会がある。多くの人に参加してほしい。