19日はティダの会のメンバーと一緒に那覇市の奥武山陸上競技場で開かれた〈元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾 被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会〉に参加した。辺野古の皆さんは年配の方もいるので、スタンドのクワディーサーの下で登壇者の話を聞きつつ、会場を歩いて写真を撮った。
正直言って、県民大会に参加するかどうか迷う気持ちがあった。参加したあと自分にどれだけのことができるかを考えると気が重かった。
一昨日の名護の追悼集会に続いて、今日の県民大会にも家族からメッセージが寄せられていた。一人娘を奪われた両親が、どれだけの思いを込めて寄せたメッセージか。そのことを思うと、つらく、やりきれない。同時に、メッセージにどう応えるかが問われていることを自覚する。
1995年10月21日の集会のあと、私たちは何をしてきたのか。その結果として今回の事件がある。掲げたスローガンを実現するために自分自身が具体的に何をするのか。日米両政府は沖縄県民の動向を観察している。〈海兵隊は撤退を〉〈怒りは限界を超えた〉というなら、ではどうそれを行動として表すのか。
在沖海兵隊の撤退は、決して難しいことではないと私は思っている。今日の県民大会に参加した人の10分の1でも、普天間基地や嘉手納基地のゲート前に座り込んで米軍基地を1週間封鎖すれば、米政府は真剣に撤退を考えるだろう。非暴力の直接行動で少し努力すればできることを、私たちはやらないでいるだけなのだ。
そこまでやらないで、本当に沖縄の現状が変わると思っているのか?