8日は朝、カヌー11艇で松田ぬ浜を出発した。久しぶりの海だったが、違和感もなく漕いで長島方向へ。途中でキャンプ・シュワーブ内の映画館の前で止まり、新基地建設予定地で行われているいっさいの作業をやめるように抗議。そのあと、満潮だったので辺野古岬付近を通って海保の浮桟橋があった浜のほうに向かった。
日本政府・防衛省はフロートとオイルフェンスをすべて撤去したと打ち出している。しかし、それが嘘なのは写真を見れば明らか。辺野古弾薬庫近くの第3ゲートからも大浦湾にまだ残っているフローを見ることができる。
フロートだけではない、海面にはブイが、海底にはアンカー用のコンクリートブロックが残されている。臨時制限水域もそのままであり、あたかもすべてが撤去されたかのように市民を欺いていることを、カヌーと市民の船の両方からマイクを握って批判し、抗議した。
船やゴムボートのスクリューに巻き込まれたのか、傷ついたウミヘビが苦し気に波間に漂っていた。
旧暦の5月4日、ユッカヌヒーでウミンチュの皆さんは休みらしく警戒船は出ていなかった。午後、なき人に行って母とハーウガミに行った。祖先が使っていた泉や井戸(ハー)を拝む行事で、昔はムシロを敷いて親戚や門中が大勢集まったというが、今はもうハーウガミという行事も廃れようとしている。
上水道が整備される以前、子どもたちや女性は毎朝、泉に行って水を汲み、パンドーガミ(水甕)を満たすのが日課だった。梅雨が終わる時期に泉を大掃除し、神に感謝したのは、泉が詰まって枯れないようにする配慮でもあっただろう。
水の神に祈るときにはウコー(御香)には火をつけない。旧岸本部落の人たちが使ったヤナジガーに訪れるのも私たちの家族だけになってしまった。私が生きている間は続けたいのだが。