18日は朝、カヌー12艇が海上行動のため松田ぬ浜を出発した。ほかに8艇が初心者練習を行った。
キャンプ・シュワーブの映画館では、この日も屋上で作業が行われていた。声が届くところまで寄って、すべての作業をやめるように抗議し、長崎(辺野古岬)に向かった。
長崎と長島の間に張られたフロートは、まだ撤去されていない。政府・沖縄防衛局はいつ撤去するつもりだろうか。船やカヌーの航行を妨害する嫌がらせとして、政府・沖縄防衛局は少しでも撤去を引き延ばしたいのだろうか。
経験の浅いメンバーはフロートを越えるのにかなり苦労していた。オイルフェンスやフロートにまたがってどうにかカヌーを移動し、再び乗り込んで漕ぎ始めた。
この日は午後から埋め立て土砂の阻止に向けた集会があり、行動を早めに終えるため台船は回らず、すぐにガイドパイプを目指した。最後の海底ボーリング調査地点に打ち込まれたまま、このガイドパイプもまだ撤去されていない。
いつでも調査を再開できる。ガイドパイプを残しているのも、そういう政府の意思表示としか思えない。これが沖縄県と協議する政府の姿勢である。そのことに抗議を続ける必要がある。
この日は靄がかかって遠くの景色はかすんでいた。平島に寄って休憩をとっていると、風で少しずつ靄が流れ日が差した。ただ、午後からはかなり強い雨が降った。いつもよりは早めに松田ぬ浜に戻り、午後の集会に備えた。
午後2時から屋部支所の2階ホールで、「辺野古土砂搬出反対全国協議会」の集会が開かれた。全国8県18団体が一堂に会するのは初めてとのことで、300人ほどの人が集まってホールは満杯だった。
辺野古の海を埋め立てるために膨大な土砂が全国各地から運び込まれる。その予定地とされている各地域からの報告は、砕石や砂の採取で貴重な自然が破壊されている実態を伝えていた。長年にわたり地域で市民運動を続け、そのうえで辺野古に思いをはせ、新基地建設のために土砂を運ばせない、という決意をもってこれだけの人が集まったことに励まされた。
集会のあとは交流会が持たれ、食事をしながら本部町の皆さんの踊りや紙芝居を楽しんだ。私にもマイクが回ってきたので、土砂の搬出が始まる前に工事を止めなければならない、今の中断を再開させてはならない、と訴えた。
山城博治さんが大いに盛り上げて、最後はカチャーシーで閉めたが、交流は夜遅くまで続いた。