3日は午後からキャンプ・シュワーブのゲート前に行き、集まっていた皆さんに、海上保安庁に逮捕されていた際の支援と激励に感謝した。
マイクを渡されたので、1日のカヌーの行動の際、長崎(辺野古岬)付近で米軍の警備員に拘束され、その後、米軍基地内に8時間近く監禁状態にあったことや、辺野古代執行訴訟で国と沖縄県が和解し、翁長知事の埋め立て所運取り消しが効力を取り戻したにもかかわらず、大浦湾のスパッド台船などを撤去せず、フロートも張り巡らしたままであることの不当性などを話した。
それに対する抗議として現在のカヌーの活動があり、作業中断以降は台船に近づいても海保は規制をしない中で、軍警備員が先走って拘束したものの、名護署や海保は引き取ろうとせずに混乱したことなど、逮捕がいかにでたらめであるか、について話した。
前日2日は早朝から夜8時過ぎまで、中城海上保安部に多くの皆さんが集まり、激励と抗議の声をあげてくれた。留置所の中にもシュプレヒコールや発言、歌声が聞こえて励まされた。弁護士の皆さんや国会議員の照屋寛徳さんほか、多くの皆さんの支援があってはじめて早期に釈放された。深く感謝したい。
3日には午前9時から集会が開かれたそうだが、疲れていたのと洗濯やメールの返信ほかやることが多く、ゲート前には行けなかった。昨夜のうちにブログでお礼を書くべきだったが、車でアパートについたら駐車場で0時過ぎまで寝てしまった。お礼が遅れて申し訳ない。体調は良好なのでご心配なく。
これからも引き続き辺野古に通って活動を続けるが、今回の逮捕に関する意見もいろんな場で書いたり、話したりしたい。米軍基地内に8時間近く拘束され、外部との連絡も取れない状況に置かれたことなど、1950年代、60年代ではあるまいし、いまだにこういうことが起こることの異常さを告発したい。まずは明日の沖縄タイムスに文章が載るのでご一読を。
テント村の前を歩いていたら、米軍基地の警備員がわざわざ出てきてカメラを向けてきた。長崎で拘束した警備員は、私のライフジャケットや腕をつかんで海から陸に引きずりあげる際、私の本名を呼んでいた。よほど私に関心があるらしい。
特定の人物を狙い撃ちして弾圧を仕掛けるのは、ゲート前でもこれまでにやられてきたことだ。それにしても米軍の手先になって動くとは、哀れな男たちだ。
3隻のクレーン付き台船は4月の新年度になっても大浦湾に居座り続けている。陸上では重機類がトレーラーに載せられて撤去されている。作業が中断しているにもかかわらず、大浦湾から台船とフロートを撤去しないのはなぜなのか。
「辺野古が唯一の解決策」という安倍晋三首相の発言を受け、いつでも海底ボーリング調査を再開し、コンクリートブロックを投下する準備はできている、という意思を示すために置いているのか。そうであるなら余計に許すことはできない。
このような形で台船を置いているから、カヌーは抗議と監視活動を行わなければならない。台船が撤去されればカヌーでフロートを越える必要もないのだ。昨年は5月に台風が襲ってきた。台風が来る前にすみやかに台船を撤去し、大浦湾を元の状態に戻すよう沖縄防衛局と国に求め、抗議を続けたい。