22日(月)は朝、カヌー12艇で松田ぬ浜を出発した。途中、キャンプ・シュワーブ内の浜では、米軍がゴムボートを使った訓練を終えて引き揚げるところだった。辺野古岬に近い浜でも米兵10名ほどの姿が確認できた。
内陸部での射撃演習に加えて、海岸や海を使った訓練もできる。米軍にとってキャンプ・シュワ-ブは使い勝手のいい基地なのだろう。そこに飛行場や港湾、装弾場を備えた新基地ができれば、さらに多様な訓練が可能となり、基地機能も大幅に向上する。
そういう基地を米軍は手放そうとしないはずだ。普天間基地は老朽化した基地だからこそ返還される可能性が生じている。それよりも価値の高い最新鋭の基地は、恒久的なものとして使用されるのが必至だ。しかも埋め立て地は国のものであり、自衛隊も使用する。沖縄県民は半永久的に基地被害を背負わされる。だからこそ新基地の建設を許してはならないのだ。
長島をはさんで辺野古側と大浦湾側の二手に分かれて監視活動を行った。大浦湾は波が荒くてフロートのそばで待機するのも一苦労だった。この日は潜水作業や米軍ビーチでフロート、オイルフェンスの移動が行われていたが、海底ボーリング調査の再開に向けた動きなど目立った作業はなかった。
長島近くにガイドパイプを残したまま、緑のクレーン付き台船(第八十八福丸)は陸側に避難したままだった。台船が長島近くに移動する前にはオイルフェンスやフロートが設置される。この日は大浦湾の波が荒かったせいか、午前中、フロート設置の動きはなかった。
コンクリートブロックを積んだクレーン付き台船も、周辺で潜水調査が行われていたようだが、動き出す気配はなかった。
辺野古岬周辺の陸上部では、バックホー2台が浜の護岸近くで整地作業を行っていた。19日(金)に行われた遺跡の学習会で名護市教育委員会から、辺野古岬周辺で行われた試掘調査62地点では、新たな遺物は発見されなかったとの報告があった。調査終了地点から先に作業ヤードや仮設道路建設に向けた整地作業が進められているようだ。
昼食後、辺野古側で監視活動を行いつつフロート越えの練習を行った。初めて挑戦する人もいて苦労していたが、できるようになるには練習を繰り返すしかない。フロートに乗り上げるにはスピードが必要で、短い距離を一気に漕ぐ瞬発力が必要となる。
50代以上にはなかなか厳しく、自分がいま20代なら倍は漕げるのに、と思いもするが、まー皆さん、年齢相応に頑張りましょう。
この日は大きな作業はなさそうだと判断し、午後2時前に海上行動を終えて、カヌーチームは松田ぬ浜に引き揚げた。